テリトリーは互いに尊重されるべきと言う話

クレーマーを巡る話では、私は大体、クレーマー側の主張の方が妥当だと思うことが多くて、そちらの意見の方が叩かれがちなのが腑に落ちないことが多かった。
例えば、コンビニでタバコを買う際にタッチパネルで認証を押させるという行為だけれども、そもそも法的に言って、客側に協力する義務はないし、いや店側に確認義務があるんですよ、そうじゃないと売れないんですよ、ということを踏まえたとしても、ならばあの行為に未成年者を排斥する確実性がない限り、ただのアリバイ作りであって、百歩ゆずって未成年者保護に客側が不便を強いられるのがやむを得ないことだとしても、アリバイ作りに協力する義理は全くない。
そうじゃないと警察に目をつけられるとか、DQNを排除できないとか、そんなことはそっちの勝手であって、関係のない他人を巻き込んで構わないということにはまったくならない。
実際にはタッチパネルを押す程度のことだから、私を含めて、大勢はことも荒立てずに従っているが、原理原則から言えば、他人に何らかの行為を義務として課すというのはものすごいことであって、わずかなことであっても、時間的・身体的損失がそこに発生しているのである。本来はこの他人のものである時間や労力を自己の利益のために、公共の福祉の支えもなく強制的に奪っていいのかどうかという話であって、これはテリトリーの問題である。
そういう視点から見ると、クレーマーの多くは、このテリトリーを侵害されたから発生しているのであって、額にして10円、20円、あるいはもっと少ない損失であっても損失は損失であるし、それを権利なく奪うのであれば泥棒は泥棒である。
テリトリーを侵害されても気にしない者はそうすればいい。わずかな損失なら気に欠けないというなら気にしなければいい。しかしだからと言って、1円2円の損失であっても、テリトリーを侵害されるのは嫌だという人がいるなら、その人の権利は守られるべきだし、それが他人を尊重するということなのだ。ただ自己の権利を守りたいだけの人を、心が狭いだとか、ケチだとか非難するのは、本当にこの国がおかしいところだと思う。権利は権利のために戦う人がいて初めて守られるのだ。
私は、こういう場面で寛大な人や心が広い人なんかよりは、「心が狭い人」の方がよほど社会に貢献していると思う。
ここで言うのも嫌らしいのだが、私は社会人になってから、年収の一割を慈善事業に寄付することを個人的な縛りにしてきた。他の人が旅行に行ったり、高価な車を買っている時でも私はそうせずに寄付をしてきた。まあそこそこの金額である。しかしそれは私個人が自分のテリトリー内で決めたことであって、私が寄付している額の10分の1の額でも、私や他人が強制されるのは、間違っていると思う。それはケチとかそういう話ではない。他者のテリトリーを侵す、他人を尊重しない行為であるから絶対に容認できないのだ。
その観点から言うと、
http://www.sososo291.com/?p=620
こちらの話はまったく逆である。他人のテリトリーを侵害しているのは、筆者の方である。
TSUTAYA の買い取りの内規がどうだと言うのは全くどうでもいい話である。諸般の事情をかんがみて、一見、バカバカしくても TSUTAYA は手間と労力を考えてそうしているのかも知れないし、そうした合理性がないとしても、自分の得失において愚行を行う権利は誰にでもあるのだ。
言ってみれば、この筆者は、どこかの家庭に押し売りに行って、応対した奥さんが「主人に聞かないと買うかどうか決められないんですよ」と答えたとして、なに?それはおかしい、奥さんの自主性を尊重していない、奥さんのためにもそれはよろしくない、その家庭内ルールはよろしくないから変えるために、私はここをがんとして動きませんよ、と言っているようなものだ。
普通に考えても、買わないと明言しているのに、2時間も居座られたら営業妨害であるし、その間、対応を余儀なくされた店員に人件費が発生していないとでもこの筆者は思っているのだろうか。
警察を呼ばれてずいぶん傷ついたようだけれども、ヤクザの押し売りと同じだもの、警察を呼ばれて当然だ。
ルールを守れと言うのは、TSUTAYA の内規の話ではなくて、他人のテリトリーを尊重する、他人を尊重する、ということである。
筆者のような人を悪質なゴネ屋以外の別の表現で呼べると言うならそちらの方が驚きだ。