恋に恋して

人を好きになったことがない。人を愛したことはある。もちろん情を交わしたこともある。不惑まで生きているのだもの、あって当然だ。
好きになったことがないというのは恋のような気持ちを知らないということで、愛情はいつも結果として生まれてきた。恋、で言うならば、冗談ではなく、僕が中学一年生の時に、母が唐突に「今日からうちで飼うから」と言ってヨークシャーテリアの仔犬を僕に見せた時、僕はその仔犬に心を奪われた。あれが一番、恋に近いような気がする。ただしカレは雄であった。
女性と最初に交際したのは、たぶん中学2年生の時だったと思う。交際のはじまりは思えばほとんど向こうから言われてのことで、僕はたいてい、受け身だった。そんなにもてた記憶も事実もないのだが、稀に僕のような取り柄のない少年であっても、誤解して勝手に良い印象を持ってくれる人がいて、そういう人たちによってかすかな需要が生み出されていた。正直言って今思い出そうとしても顔も声も名前すらもあやふやになってしまった相手なのだが、彼女がある時、どうして僕を好きなのかという気恥ずかしいことを当の僕本人に言ったことがあって、それはある出来事がきっかけになっていた。
彼女はピアノを弾けたので、合唱コンクールなどでは重宝されていた。あれは入学してすぐの頃、コンクールの練習を音楽室でしていた時に、何人かの女子がひそひそ声で、「あの程度でピアノ弾けますなんて偉そうにされてもね」みたいなことを言っていた。たまたま僕はピアノの近くに立っていたのだけれども、僕が聴こえたのだから、彼女にも聴こえたのだろう。彼女は泣き出してしまった。
そういう陰口がなされていたと知らない他の生徒は「え?なんで?」みたいな反応になり、陰口を言っていた女子たちも、「え?どうしたの?私たちなにか言った?」としらばっくれていたので、かちんと来た僕は、「いやいやあんたらかくかくしかじか言ったよね。普通どう考えてもそのせいなんじゃねーの?」と言った。
彼女は泣いたままだったが、後で聞いたところではそれがよほど嬉しかったらしい。この人は態度も悪いし、何かに一生懸命になっているわけでもないし、努力も嫌いだし、いつも寝てばかりいるけれど、それでも優しい人に違いない、と思ってくれたようだ。それがまったくの誤解であることは僕には分かっていた。僕は後先考えずに、感情のまま行動することがよくあるし、特に子供の時はそうだった。はっきり言って僕があの時、切れたのは、彼女に同情したからではなくて、しらばっくれている女子たちの底意地の悪さが不愉快だったからだ。僕が戦う時はいつでも何かを守るためではなくて何か不愉快なるものを排除するために戦ってきた。そこには優しさと正反対の感情はあっても、優しさそのものは無かった。
僕は彼女のその見方が誤解だと分かってはいたけれども、男女交際という新しい冒険をするために、そしてあわよくばあんなことやこんなことをするために、誤解は解かないでおいた。しかし卒業の頃には別れていたのだから、誤解は自然と解けてしまったらしい。どうやって別れたのか、まったく思い出せない。
高校生になってからすぐに「好きです」とある女子から言われて、それならばと付き合った。半年後くらいに「もう好きじゃなくなりました」と言われて別れたけれども、その前にやることはやっておいたので、元はとった感じであった。
二年生の時には部活の後輩の女子と付き合った。正確に言えば僕はその部活には入っていなかったのだけれども、友達がいたので、雑用とかがある時に、友達に動員されて時々顔を出していたのだ。で、そこの女の子といろいろあってそういうことになった。
彼女とはすごく気が合った。好きだと言う以前に友人としてまず気が合った。次第次第に彼女も「こんなことを言ったら引かれてしまうかも」といつも隠していた部分を僕には見せるようになった。十中八九、僕以外の男なら確かに引いてしまうようなことでも僕は面白いと感じた。彼女の温和な表情の裏に隠された辛辣な批評眼を僕に曝け出す時、僕は彼女をほめたたえた。だいたい彼女と僕は同じようなことを考え、同じように感じていた。
けれどもそれを好きとかどうとかと言われるとやはり違うような気がした。彼女の家庭は複雑で、結果として僕も少し巻き込まれたり、なんだか精神的な依存のようなものを感じるにつれて、僕は自然にただの友人関係になるように、距離を置こうとした。彼女のことは「気に入っていた」けれども、それよりも僕は僕だけが大事で、僕と僕の家族と、僕の犬と猫とウサギと文鳥だけが大事だった。そこに彼女が座る椅子を用意してあげられるスペースはなかった。
「あら、もしかしてあたしから離れようとしている?これを見てもあたしから離れられるのかしら」
と言って彼女は上着をたくしあげてみせた。そういう大胆で度胸が据わっていて機知にとんだところが好きと言えば好きだった。でもそれは彼女の人格と存在を丸ごと受け入れるのとは違っていた。
しかし彼女の同輩で、僕から見ればやはり後輩にあたる男子が、僕が時に彼女に対して居留守を使っているのを見て、全然大事にしていない、そんなら俺の方がよっぽど彼女が好きだ、とか言い出して、青春漫画のような気恥ずかしい、どこか嘘っぽいセリフが現実に繰り出されるのを見て眩暈がしたのだけれども、僕としてはもう、どうぞどうぞというか、表面上は「そんなに好きなら俺の屍を越えて行け!」と一応は言ってあげて、最初はうざがっていても段々とほだされていった彼女に対して、
「あいつは俺が君のことを知っている十分の一も君のことを知らんだろうね、でも、俺が君を愛している十倍くらいは多分君のことを好きだろうね」
と言った。結局、人は好きになってくれる人と一緒になるのが一番いいのだ。
人の関係というのは不思議なもので、あれほど裏表もなく互いを見せ合って、親兄弟よりも深く互いのことを知ったのに、他人の女になれば、卒業してしまえば消息も分からない。知りたいかと言われればどうだろうか。フェイスブックなんかでうっかり再会でもしたらそれはそれで興醒めだ。彼女はあの一途な男と続いたんだろうか。たぶん別れたんだろうな。