女性専用車両、優先席について
私は優先席には坐らないが、それは基本的に電車の中では立っているからである。坐りたいなら優先席にも坐るし、若い人が優先席に坐っていても当然の権利だと思う。そもそも席を譲るとか譲らないとかは個々人の判断と道徳心に拠るのであって、一私企業が半ば強制するものではない。
老人や妊婦が坐る席を必要としていることは分かる。同様にこれから長時間労働をするために通勤しようとしている人にも必要だろう。老人が坐る席が必要だと言うなら、老人が道を歩いている時、タクシーで横切ればタクシーに乗っている若い人はタクシーを料金支払い込みで譲らなければならないのだろうか。そんなことはない。老人は代金を支払っていないからタクシーに乗る資格がないが、若者は代金を支払うからタクシーに乗る資格があるのだ。それと同じで、鉄道で同じ乗車券を買ったならば、同じ権利を持つ。そこに「道徳心」などをたてにして、一定の者を優遇したり、逆に一定の者を冷遇するのは、差別であり、財産権の侵害である。
これが財産権の侵害であるということははっきりとしているから、だから優先席は「ご協力のお願い」でしかない。私自身は基本、シートには坐らないし、老人や妊婦にも席を譲るが、それはあくまで私個人の判断であり、私の財産を他人が差配することは拒否する。「ご協力のお願い」でしかないが、そこには実際的に、強制力を帯びている。ある程度の強制力がなければ、優先席を導入する意味がないわけだから、社会的な抑圧を利用しているわけである。
同様のことは女性専用車両についても言える。
女性専用車両の趣旨は理解できるし、痴漢に怯えて電車を利用できなければ、女性がこうむる損失は甚大なものになる。女性専用車両自体はやむなし、との考えだが、ただその前に、他の方策は無いのか、疑念を抱いている。車両内での痴漢が特に日本で多いのは、満員電車が多いからで、女性が逃げられないから多いのであって、鉄道各社はまず満員電車を緩和しなければならないのではないか。私がこう思うのも、某地方都市に住んでいた時、そこは首都圏よりははるかに人口規模が小さくて、電車もせいぜいが15分間隔での出発であったが、そこにも満員電車はあったからである。電車の本数を増やせば、満員電車が緩和されるのは一目瞭然であるのに、おそらく、経営的な理由から鉄道会社はその対策は取っていなかった。首都圏は世界最大のメガロポリスだから他とは比較が難しいかも知れないが、京阪神あたりでは、それよりも大きいメガロポリスが世界各地にあるのに、例えばニューヨークで満員電車や痴漢の発生が顕著でないなら、京阪神の鉄道会社は努力できる余地があるのではないか。利益率を上げるために、満員電車の問題、痴漢の問題を放置しているとしか思えない。
その鉄道会社の利益確保のために、男性乗客である私が、特定の時間帯に女性専用車両を使用できないという財産権の侵害を甘受させられるのはごめんこうむる。ただし、企業努力でもどうにもならなくて、女性専用車両を設ける以外に痴漢から女性を守れないというなら、私はそれを受け入れたい。
受け入れたいが、それが財産権の侵害であるのは明らかであり、その判断を一私企業がすべきではない。現状、女性専用車両が「ご協力をお願いします」にとどまっているのは、この場合の財産権の侵害を公共の福祉の観点から正当化する法的な根拠がないからであるが、どうしてまず法的な根拠を得ようとしないのか。公共の福祉の観点からも、この場合は正当化されるはずなのに、どうして議会を動かして法的な根拠を得ようとしないのか。
そこのところの本当の理由は分からないけれども、状況的に判断すれば、いわば「最終的に他に方策がなく、やむなし」と最終的な切り札として出されるべき財産権の侵害の許容に現在は至っていない、つまり詳細に精査されれば満員電車を緩和する企業努力の余地が十分にある、しかし企業側は利益率が下がるのでそれはしたくない、ということではないだろうか。
本来ならば、利用者対企業の対立軸であるのに、男対女の話にすり替えられている。そこが女性専用車両が胡散臭いところである。