ブロゴスフィアの終わり

ブロゴスフィアって久しぶりに打った。たぶん、この記事書いたら、もう一生打たないんじゃないかと思うけれど。
2002年くらいから2006年くらいまでのブロゴスフィアは面白かった。どこが面白いかと言うと、質。その質は、パソコン画面の向こうにいる人は理性ある他人だという認識を個々人が持っていたことに由来していたんじゃないかと思う。逆に言うと、最近のブロガーはこの認識が足りない。
他人だから自分とは感覚が違う、意見が違う、でも理性はあるから話せばわかる、話してゆく中でこちらも意見が変わっていくかも知れない。だから論理的に話そう、冷静に話そうと努めないといけない。
そうじゃない、最近の典型例はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20130813/1376415786
関係のないことに首を突っ込んでいる連中は私刑をしたいだけ!と騒いでいるけれど、関係のないことに首を突っ込んでいるのは自分も同じじゃんと何人もの人に指摘されている。
ひょっとしたら、単に「俺がそう思っているんだから、俺が思ってるんだから正しいんだ」というのではない、もっと合理的な、炎上案件を叩いている人と、炎上案件を叩いている人を叩いている人(つまりリンク先の記事の筆者)を分ける理由があるのかもしれないけれど、ブログ黄金期のブロガーはそういう理由があるならその理由を書いた。自分と他人は違うというところから出発していたから、「おまえも同じじゃん」程度のつっこみをする他人の眼差しは自分の中にすでにあった。
だから感情の話にならなくて、理屈を巡って、人格と切り離して議論することが出来た。相当な極論も、おそれずにテーマにできたのは、議論を議論として切り離すことが出来たからだ。
今はもうそう言う土壌は失われてしまった。
下の世代の質が落ちているからだと思う。