タバコ販売の年齢確認について

個人の権利の擁護は、「反対意見や嫌な人物の権利」を擁護することを主眼におかなければならない。不当逮捕や人権侵害も、嫌な奴だけがそうされるならば、どんどんやれということになってしまう。嫌な奴だけが死ぬのであれば戦争も粛清もどんどんやれということになるのと同じことだ。権利の擁護は、嫌な人、異常者、性格が悪い人、社会的不適合者であればなおのこと原則的に、強固に擁護される必要があるのだ。喫煙者は現在の社会において「公然と差別的に扱っても許容される」パブリックエナミーである。であればこそ、理も非もなく、とにかく喫煙者が一方の当事者ならば叩けということになりがちであるし、喫煙者の個人的な権利の問題が見過ごしにされてしまう。そこが非常に怖いと思う。
タバコ販売の年齢確認の根拠になっている「未成年者喫煙禁止法」を確認したところ、実は成人のタバコ購入者の側には何ら義務規定がないことが分かる。これは当然であって、一般国民に対して義務を課すというのはそれほど重いことなのである。
販売者側に課せられている義務は、「未成年者が自分で喫煙すると知りながら販売した場合は販売者に罰金刑が課せられる」ということと、「努力規定として年齢確認を行うこと」であり、年齢確認を行うのが義務なのではなくて、未成年者に販売を行わないという法目的を達成するために年齢確認を行うのが努力規定として義務なのである。
コンビニエンスストア側の現場の意見として、
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/27/135251
こちらのブログ記事があるが、もちろん現場の声としては意味があるご意見ではあるが、法理的な問題としてはずれている。
整理すれば、
・未成年者はタバコを購入する権利がない(ただし当人が吸うのではないと明らかに判断できる場合は販売店側が売ってはいけないということはない)
・小学生以上の未成年者がタバコを購入する場合は当人が吸う場合がほとんどであると推定する蓋然性がある
・小学生以上の未成年者と判断可能な場合は年齢確認をする努力義務が店舗側にあり、なおかつ、未成年者側は喫煙が禁止されているので、未成年者ではないと証明する義務を負う。
と言うことは言えるかと思う。
ここではつまり、成年喫煙者は徹頭徹尾、部外者なのであり、本来的には関係のない話である。関係のない話であるが、もちろん未成年者にタバコを販売しないという法目的を達成するために店舗側が年齢確認を求めた場合、それに応じる義務はあるとは言える。
しかし、それはあくまで法目的遂行のために限られるのであり、見た目から言って明らかに20歳以上の場合、店舗側が年齢確認を求める法的な根拠はない。
これは、この法的な根拠がないにも関わらず、店舗で発生する実際的な問題を緩和・回避するために特定の消費者が「ひと手間をかけることを義務付けられる」ことが法の下の平等に反するのではないかという問題なのである。
もちろん取引の私的性格を最大限に許認するならば、「ご協力いただけないならばうちでは販売できません。よそへ行ってください」ということも商法的には可能なのであるが、これは単に、無差別に合理的な理由からの要請ではなく、喫煙者を狙い撃ちにした、成年の喫煙者のみに負担を強いる行為であるがゆえに、単純な取引の問題とは処理できず、差別の問題として取り扱われるべき、少なくともその余地が十分にある。
その差別の問題が実際にはほとんど棄却されているのは、
・画面をタッチするだけという、損失が矮小であるから
・未成年者の喫煙を禁止すると言う公共の利益の要請があるから
・喫煙者の損失など無視してかまわないという社会的な差別の構造があるから
である。
私自身は煙草を吸わない、喫煙をやめた人間であるが、喫煙関係の話があるたびに、「喫煙者はメンヘラ」のような、レイシストな書き込みがあるのには辟易している。どう見てもその態度の方がメンヘラっぽいのだが、それを指摘するのもはばかられるのは、「喫煙者はメンヘラ」という言葉は、喫煙者を侮辱しているのみならず、メンヘラへの悪意、敵意、侮蔑感情を無条件に肯定しているからである。
そう言う言動が、喫煙者がパブリックエナミー化することによってまかりとおっていることの方が社会的にはよほど不健全であるし、「タバコ販売の年齢確認」問題は、喫煙者相手ならば損失を無視しても構わないという、余りにも無意識過ぎるレイシストな思考がまかりとおっていることは、世の多くは考えの足りない人たちによって構成されていることを改めて思い起こさせるのである。