安倍晋三氏の靖国参拝について

まず、大前提を指摘しておけば、公式参拝違憲である以上、安倍晋三靖国参拝は私的参拝以外の何物でもないのだから、私人の宗教的行為、「信教の自由」は最大限に尊重されなければならないという大原則を、リベラルがまったく考慮していないのは、日本のリベラルにありがちな党派性、「融通無碍な人権意識」の表れであろう。
安倍晋三は私人であり、靖国神社は私的な宗教施設である。本来そこにパブリックが入り込む余地はない。
靖国はアーリントンとは違う」
と言う言葉は、アーリントンは靖国よりもはるかに悪質な存在であると解釈されるべきだ。あるいは韓国の顕忠院ははるかに悪質である。何故ならば、現代の基準で戦争犯罪と判断されるような行為者が「公式に」顕彰され、国家元首が「公式に」参拝しているからである。徹頭徹尾、私的な行為である靖国参拝と比較して、戦争犯罪に対する態度としてははるかに悪質なのはもちろん公式性の強いアーリントンの方である。
ここだけを切り抜いても、靖国参拝よりもはるかに悪質な行為を中韓は自身で行いながら、それを問題視しないのは、日本人に対するレイシズムというしかない。これが悪質なのは、第二次大戦の敗戦国以外の国の犠牲者の被害が軽く見積もられるからである。現在なお、占拠を続け、カナダのような融合的な社会政策をとっていないオーストラリアが他国の侵略についてなぜ非難できるのか、さっぱり理解できないが、ナチスユダヤ人を絶滅させ損なったが、オーストラリア人はタスマニア人を絶滅させた。その最終的解決の結果、タスマニアには「原住民問題」は存在していない。
靖国は宗教施設なのだから、その行動に対する理解は当然、神道を踏まえていなければならない。神社だからそもそも墓地ではなく、墓地になぞらえること自体、ナンセンスなのだが、A級戦犯を合祀することについても、世俗の意味でそれを解釈しても無意味なのである。神社ではしばしば怨霊が封じられているが、それは怨霊を敬しているからではない。神道に対する理解もなく、神道の文脈から離れて、神道の行為についてどうこう言うこと自体がナンセンスなのであって、このナンセンスを中韓靖国参拝を批判する人たちは行っている。
まったくもって、ファナティックというしかない。