100年後の世界

ジョージ・フリードマンが100年後の国際状況を予想した本を読んだ。ざっとあらすじを聞いている時には何と荒唐無稽な内容だろうと思っていたが、実際に読んでみたらもっと荒唐無稽だった。地政学者ということだが、五島勉の亜流のように見える。
こんな与太話誰がまともに聞くんだろうと思ったが、案外、いろんなところで引用されていて、アメリカ外交の基本戦略に据えられているフシがある。
中長期的にユーラシアの覇権国として台頭してくるのは日本、トルコ、ポーランドの三国でこれらはいずれパクスアメリカーナに挑戦する、というSFにしたって筋悪の設定だと思うがこんなものが「学問」として提出されているかと思うと背筋が寒くなる。このお話が、現時点として荒唐無稽なのはフリードマンも承知らしく、ただ、19世紀半ばに日本が百年後に経済大国として台頭するとかそう言う予想が出来た人がいるか、だから現時点で荒唐無稽であっても、それがあり得ないということはない、というような言い訳をしているが、これが言い訳であることは、19世紀半ばに100年後を誰も予想できなかったと言うなら、今だってなおのこと誰も予想できぬはずという当たり前の論理の流れを無視しているからである。これを片手落ちという。
それに19世紀半ばには日本がともかくもひとかどの国になるだろうことは情報を知っている人ならある程度は見据えていたはずだ。
地政学と言うと怪しげであるが、地理的環境、自然環境が国家の運動の最大の行動原因になるというのであれば、例えばジャレッド・ダイアモンドの「銃・鉄・病原菌」のような地理歴史学とでも言うべき視点を踏まえればある程度は是であろう。しかしながら、それがすべてを規定する、心理歴史学のように逃れがたい予言となると言われれば、それは明らかに間違いである。
初期地政学が示したハートランドの概念、つまり沿岸からはるかに遠く海軍力による脅威を受けないため、絶対安全地帯であるがゆえに列強の争点となるユーラシア内陸部をどう捉えるかということひとつとっても、第二次大戦でソ連軍や中共ハートランド方向に向かって退避し、敵の補給ラインをひたすら長く細くして持久戦に持ち込み勝利したことを踏まえれば、ハートランドの価値にまったく意味がないとは言えないが、実際には中央アジアをめぐる列強の抗争は過去にも現代においても発生していない。
テロとの戦争の結果、アメリカが歴史上初めてアフガニスタンに地上軍を派遣し、中央アジアに橋頭堡を築くに至ったが、そもそもそれが可能だったと言うこと自体、ロシアや中国がハートランドの確保を致命的な権益とはみなしていないことのあらわれである。
100年後、特にドッグイヤーの21世紀において、100年後の未来などかけらでも予想できるであろうか。
私はフリードマンが本当に彼の地力の限界を用いて100年後の世界を予想して見せたと考えるよりは、100年後の世界はこのようなものですよと予想することによってそれによって生じる「現在の」国際状況に対して何らかの変数を加えようとした、と考える方が自然だと思う。はっきり言って私はこのユダヤアメリカ人をかけらも信用していないが、それは彼の能力を低く見積もっているのではなくて、敢えて乱を起こすのを好むが如き彼の言動、彼の人間性、引いてはそれを用いるアメリカの意図を信用していないからである。
韓国は相変わらずバランサー論なる阿呆な白昼夢に取りつかれているようだが(その戦略の名前は変わったにしても)、韓国人が阿呆でいてくれて利益を得るのはアメリカである。バランサー戦略とはどういうものなのか、それはアメリカを見ていれば分かると言うもの、日本はアメリカを倒さぬ限り、この蟻地獄から抜け出すことは出来ない。そのためには同じ蟻同士である日中韓が「白人の支配を覆す」という真の大義のために手を結ぶ必要があるが、中国と韓国がしょせん外交戦略能力に欠けているのでアメリカに利益を与え続けている。
フリードマンの「理論」はアメリカのこの現在の権益保持の目的におおいに適う。ただそれだけの、そのためだけのためにする宣材である。
それはともかくとして、100年後を予想しようとすれば、代替エネルギーは必ず可能になるはずだから、エネルギー確保を巡って各国が抗争すると言う、地政学の大前提が今後100年のうちに必ずや崩れるだろう。代替エネルギー自体は現在でも複数存在している。後はその効率を高めてゆくだけの話なので、すでにレールは敷かれている。
更に言えばインターネットの普及は始まってから実は15年程度、多くの国ではまだ10年以内に過ぎず、現在はネットの及ぼす社会構造の変化の入り口に立っているに過ぎない。しかしそれでいてなお、多くの事務職が既に先進国から途上国にシフトしているように、居住国と収入を得る国・地域が一致しない、真のネットグローバリズムは加速度的に進展してゆく。このことはふたつの直接的な影響を人々に与える。ひとつは、地域社会、国家に依存しないコスモポリタニズム性を多くの不特定多数の人々が獲得すること。つまり抗争の主体となる国民国家そのものが求心力を失うに至る。
もうひとつは、本来会話することのない他地域の人々が直接意見を交わすこと。何度言っても引きこもりの傾向が直らない日本人はネット15年たってなお、英語での発信・コミュニケーションをしたことがない人が多いがそのような「文盲」は今後どのような意味においても振るい落とされていくだけだ。タフで、時には不毛なやりとりを通して人々は次第次第に、地球規模での共通規範を育ててゆく。それは知識人や数少ない運動家たちが「少数が多数に押し付ける」かたちで成立してきた暴力的な道徳とは違うもので、それを呑み込む、それぞれの社会と歴史の現実を踏まえた「本音の道徳」になってゆくだろう。そうなって初めて、道徳が異文化を断罪して自分が優位に立つためのツールから脱却できるのだ。そしてその脱却はこの100年の間に進行してゆく。
このような、どう考えても不可逆的に発生する大前提だけを踏まえても、フリードマンが言うような地政学的なクライシスは発生しそうにない。