統帥権干犯問題化する天皇の公的行為問題

玄倉川さんが憤っておられる。
自縄自「爆」の鳩山政権 - 玄倉川の岸辺
問題探知能力の無さはいかにも鳩山首相らしいし、問題を不必要に拡大してゆくのはいかにも原理主義者・小沢一郎らしい。
政局的な論として言えば、私は玄倉川さんのご意見に同意であるし、こうしたことが起きるだろうと思ったから、小沢さんが代表を辞任した後の後任に鳩山さんが収まったのには懸念を抱いたし、小沢さんには早々に引退して欲しいと思っている。小沢さんの功績と能力は認めるが、マイナス面も甚だしい。
当初の予定通り、自分自身言っていたように、参院選のことだけに集中すべきだろう。
しかしながら、ことが起きてしまえば、筋論を曲げるわけには行かない。
もっとも重要で基本的な筋論は、日本は基本的に国民主権の共和国であるということだ。
12月16日に宮内庁の岡弘文官房審議官は、「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」と述べた。とんでもないことだ。
公的行為であっても政府のコントロール天皇が受けないということはあり得ない。
外国の首脳の接受が外交、つまり行政府権限に属することは明白であり、行政府と無関係に、行政行為がなされることがあってはならない。
正面から統治中枢の権限の所在の問題になってしまうのであれば、その所在はどこまでいっても民主的に選出された政府のものでなければならない。
こういう大きな話にしてしまうこと自体、鳩山内閣の失策であるが、そうした話が出てきてしまったのであれば、政府はこの点で絶対に譲ってはならないのである。
皇室への敬意の問題、陛下のご健康の問題、中国政府の強引さの問題、民主党政府の慣例無視のやや独善的な姿勢の問題、「皇室外交」のありようの問題、いろいろな問題が複雑に絡み合っている問題ではあるが、ことが統治中枢の権限の所在の問題に至ってしまえば、民主主義国家としては行き着く答えはひとつである。
民主的に選出された政府が権限保持者のすべてである。
天皇と政治を巡る問題については大きく分けてふたつの争点がある。
第一に天皇の政治利用の問題。
第二に天皇の存在が政治を利用する問題。
政府は分裂してはならないし、政府外権力が存在してもならない。統帥権干犯問題のようなことを再び起こしてはならないのである。
羽毛田長官や岡官房審議官は、いささか危険な領域に、彼らとしても不本意ではあろうが、足を踏み入れようとしている。天皇側近の官僚が、内閣と喧嘩をして勝ってはらならい。
陛下を「民主主義の敵」にするつもりか。今、世論や野党の後押しを受けて、やんやの喝采を受けたとしても、このことは必ず国制に禍根を残すだろうし、天皇制を危うくするだろう。
今一度、強く関係者に自重を求めたい。