残念な石破さん
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憲法も理解せず(一知半解も甚だしい)、天皇陛下に対する畏敬の念も持たず(私にはとても理解しがたい)、己の立場もわきまえない総理や民主党幹事長の発言は絶対に看過できません。
ただ、事柄が陛下に関することであるだけに、御心をお煩わせすることがあってはならないとの気持ちも強く、私の発言がどうしても一歩退いたようになってしまっているような気もして、かなり悩んではおります。
民主党の心無い人たちは(全部がそうだとは言いません。渡辺周総務副大臣のように見識と勇気のある人は民主党の中にも確かにいると思いますが、ほとんどの人たちは沈黙を守ったままなのがとても残念です)、「自民党こそ、この問題を大きくして陛下を政治利用しようとしている」などと言い出しかねません。本当は、与野党共に考えなくてはならない大問題なのです。中でも羽毛田長官に対する小沢氏の罵詈雑言はもっての他と言わねばなりません。陛下の最もお近くに仕える人が、何故あそこまで言わねばならなかったのか、そのことに思いを致さなければなりません。「ナントカいう役人が・・・」という尊大かつ傲岸不遜な態度は、政治家というより人間としての資質を疑わざるを得ません。
田原総一朗氏は日曜のテレビで「小沢氏は全部計算の上で言っている」と述べていましたが、そうであれば尚更許されざる振る舞いだと断じます。
憲法も理解していないと言うのは、おそらく国事行為の限定性についてであろうが、国事行為の範囲についての解釈の違いはあるのだし、そもそもここで公的行為と国事行為の間には意味上の違いは無い。どちらにせよ内閣の管轄下にあるからである。
枝葉の部分で揚げ足を取る行為というしかなく、これが自民党きっての理論派の言とはにわかに信じ難い。天皇陛下に対する畏敬の念を持つかどうかも、個人の内面の問題であり、政治家が政治の問題として言及するような話ではないが、そもそも畏敬がそこにないというのも、決めつけである。
これは「人民の敵」というようなラベリングとどこがどう違うのか。総理や民主党幹事長を「己の立場も弁えない」というならば、その立場とやらが一体なんであるのか、どうしてそれが拘束性を持つのかくらいは明らかにするべきだろう。
空気を読め、以上の意味があるとは思われない。
小沢一郎の性格は小沢一郎個人のキャラクターの問題である。
羽毛田発言は政府の統制の問題である。
それが理解できないとすれば、石波さんも鼎の軽重が問われるというしかない。これは確かに与野党を超えて、問われる問題であり、仮に自民党政府で起きていたとしても、私は政府を支持しただろう。
羽毛田長官の心情は分からなくもないが、彼の発言には陛下の側近という立場のみが感じられて、政府の一員という立場との板ばさみからくる苦悩は感じられなかった。
特に問題なのが、長官の発言が実際に会見が行われる前になされた点であり、政府の外交政策を一官僚が台無しにしたわけである。それをするだけの覚悟があるならば、確かに辞表を出してから言うべきことだ。
30日ルールの是非と、官僚が指揮系統を乱したことの是非は分けて論じられるべきで、その程度の仕分けも出来ない人が、政治家と言う理性が求められる立場につくべきではないと思う。
今回の件について、民主党政府の対応にまったく問題が無かったわけではない。特に今回は、天皇の言動を制約させるもの、というよりは天皇を用いる積極的なものであり、慣行上からも疑義があるのは確かである。しかし、それならば、法規によって規制されていない天皇の公的行為(天皇が何を出来るのか、天皇に内閣が何をさせることが出来るのか)を法規によって規制しようという話になるはずであり、憲法次元での大きな話にするかしない現状が、自民党政府の怠慢の結果である。
石波さんに拠れば民主党内部にも心ある人はいるらしいが、自民党内部にはどうやら、個人の性格攻撃と政府の統制の問題を分けて論じられる心ある人はいないようだ。
私としては石波さんや加藤紘一さんあたりにその役割を期待していたが、まったく幻滅したというしかない。