被害者としてのドイツ人

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/world/europe/091108/erp0911081801003-n1.htm
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上ブックマークコメントで民族ドイツ人が持ち出されていて、いろいろ微妙な誤解が生じそうですね。
ドイツ人と言うからにはそもそもドイツ人って何よ?ってことですが。
直接的には東フランク王国ドイツ国家の起源があるわけですが、ヴェルダン条約の時点ではザクセンさえ含まれていないわけです。それがだんだんと吸収と植民で東に拡大して行ったのがドイツ史の基本的な流れです。
ブランデンブルクオーストリアも元をたどれば植民と征服の結果、ドイツになったのであって、これは日本や英国、イタリア、フランス、もちろん中国もそうですが、国民国家が形成される一般的な過程をドイツも辿っています。
ただしドイツの場合は、東方向には地理的な限界がありませんから、非キリスト教徒、スラブ人、非カトリックとのせめぎあいの中で段々と国境が形成されていったわけです。
当然、混住地域、グレーゾーンが広がっています。
チェコのズデーテンラント、シュレジェンプロイセンが「歴史的」にドイツ領なのか、スラブ系諸国の領土なのか、判断が非常に微妙なところがあります。
ドイツ圏に組み込まれて1000年近い歴史がそれぞれあったわけですから、むしろドイツ固有領と見るのが妥当じゃないかと思います。
現在それらの地域が、ロシア、バルト諸国、ポーランドチェコなどに組み込まれているのは、単に第二次世界大戦にドイツが敗戦したという一点に理由があります。ドイツとその周辺の領土の処理は第一次大戦後の原状処理ではなかったんですね。
見方を変えれば、ポーランドチェコなどによるドイツ侵略です。決めたのは連合国ですけれど。
この辺りの処理をめぐって、チェコリスボン条約締結をめぐってごねていたわけですね。


今回、この事件に登場している「ロシア系ドイツ人」はそうした「失われたドイツ領」とは余り関係ありませんけど、ドイツと東方地域との密接な歴史的関係から生じているという意味では、広く言えば同質の問題です。
ロマノフ朝は一時期、イヴァン5世系とピョートル1世系に分かれますが、女帝エリザヴェータの崩御でもって、男系断絶となります。
ピョートル3世はロマノフ朝の女系子孫でドイツ人だったので、彼の家名をとり、ホルシュタイン・ゴットルプ朝と以後の王朝を呼ぶのが妥当であろうと思います。
その後、エカテリーナ2世による簒奪もありましたが、エカテリーナ2世もまた元々はドイツ人ですので、ロシア皇室は血統的にも文化的にも非常にドイツ色が強くなるわけです。
ピョートル大帝以来、ロシアは西欧化を進めていましたが、より近場の「先進国」であるドイツから、教師や技術者が大量に招請されています。
今回、問題になった「ロシア系ドイツ人」はおそらく直接的にはこの帰化ドイツ人の子孫ですね。
ですから、ピョートル大帝から数えてもおおよそ250年以上、経過しています。
第二次世界大戦でにわかに生じた問題ではないのですね。
当然、その間、混血しているはずですから血統的には限りなくスラブ系であるはずなんですが、そのスラブ系というのもまた、もともとヴァイキングの進出によってゲルマン系と混ざっています。
ドイツ人とは何かと言う問題は、スラブ人とは何かという問題でもあるわけです。
途方も無い過去に分離した「ドイツ人」をドイツ国民として受容するということは、ドイツ国家が法的性格を持つ以上に、民族国家としての側面も維持していることを意味します。
現在の状態を長い歴史の中でかりそめの姿であると見るならば、ポーランドチェコがドイツになおも抱く恐怖ですね、それも理由が無いことではありません。
ドイツ民族の土地を占有しているのは彼らであって、法的な性格よりも民族的な性格がドイツで強くなれば、ドイツが旧領回復を主張する根拠がまったくないというわけでもないのですから。