参議院害悪論の不在

参議院不要論はあった。しかし参議院害悪論はなかった。
これは国家にとっては幸福なことだった。
つまり、参議院害悪論を必要としない政治状況が長らく続いていたということを意味するからである。
戦前、貴族院議長は内閣の指名による勅任官であり、歴代、8名を数えた。うち3名が徳川家の人であり、2名が一門に連なる人であった。
最後の貴族院議長は家康から数えて徳川宗家第十七代当主、外交官でもあった徳川家正公爵であり、彼は貴族院57年の歴史の幕引きをし、職権を参議院議長に引き継いだ。
初代の参議院議長となったのは松平恒雄で、これもまた徳川一門の人である。
会津松平家幕末の藩主、松平容保の子息で、小村寿太郎の懐刀として知られた外務省のエースだった人である。駐英大使、駐米大使、外務事務次官の他、宮内大臣も務めている。
秩父宮勢津子妃殿下の父としても知られるが、娘を皇族に入れるのは氏の本意ではなく、一説には英米協調派として知られた氏を皇族妃の父に押し込めるために軍部が動いたとも言われるが、皇族妃を決定したのは貞明皇后であって、軍部にはそうした思惑もあって反対はしなかったというところだろう。
松平恒雄の長男は、徳川宗家の徳川家正公爵の娘と結婚し、その間に生まれた子が徳川宗家を継いだ。
最後の貴族院議長と最初の参議院議長は単に同じ一門に属するのみならず極めて近い親戚関係にあった。
これは極めて象徴的な事実であるように思える。
参議院は、国家の必要に応じてグランドデザインに基づいて設計されたというよりは、単に貴族院を引き継ぐものとして、過去との継続に留意して設置されたのではないか。
日本国憲法を起草するに当たって、一院制にしても良かったのにそうならなかったのは、貴族院の存在に引きずられてしまったという印象がある。
歴史とはどこか、生物の進化に似ていて、過去の蓄積の上に未来は築かれる。
いかに不合理であろうとも、過去の蓄積からは逃れ難い。
それはちょうど、前肢が翼になった鳥が、飛べなくなってもなお、翼を前肢には出来ないようなものである。
日本は言うなれば駝鳥なのであった。
参議院の存在、その強大な権力による国政の無秩序化の可能性はあくまでシステム的なものなので、いつそれが生じていたとしてもおかしくはない。
それが戦後70年近くになるまで、表面化しなかったのは、運が良かったというしかないが、そうなるにはそうなっただけの理由もある。
第一に、衆議院中選挙区制を採用していたこと。
中選挙区制小選挙区制に比較すれば多数党並立状態になりやすく、自民党に対抗できる政党の出現を阻んでいた。また、党内抗争を激化させる構造を持つ中選挙区制は、衆議院議員組織力を強化させ、参議院議員はそれに頼る構造を生じさせた。
やがて衆議院の政党がそのまま参議院でも分布するようになれば、衆議院カーボンコピーと揶揄された参議院だったが、それでよかったのである。
参議院に支配的な独立政党が誕生していればそれはそのまま両院の分裂と対立を招き、国政の混迷がはなはだしくなっていただろうから。
しかし高度経済成長もとうに終わり、昭和天皇崩御した1989年の参議院選挙で、おりからのリクルート事件や消費税導入などの影響もあって、自民党過半数割れの記録的な大敗を喫した。
当時の社会党委員長土井たか子は「山が動いた」と評し、続く首班指名では彼女が参議院での内閣総理大臣指名を受けた。
思えばここから政治の参議院問題は始まったのだが、自民党も実にしぶとかった。
細川政権下で野党に転落した後、社会党自由党公明党と連立相手を変えながら、政権を維持した。それはつまり、衆議院はもちろんのことながら、参議院でも与党が過半数を制してきたということである。
しかし衆議院小選挙区制が導入されれば、二大政党制へと近づいてゆく。参議院での投票行動もまたそれに引きずられてゆく。
2007年の参議院選挙では現有議席とあわせて民主党は109議席を獲得し、比較第一党となった。過半数には11議席足りないが、社民党共産党を加えれば充分に達成できる議席である。
自民党には新たに連立に迎え入れる相手はもういなくなったのである。
こうした状況は衆議院選挙で民主党が勝利すれば、とりあえずは解消される。しかし政府の参議院への統制能力の欠落はシステム的なものに由来するので、民主党が政権をとったとしても、来る参議院選挙で勝てなければやはり同じ状況に陥る。
そしてその可能性は高い。
2009年には必ず衆議院選挙があるが、おそらく政権交代が起きるだろう。
そして2010年7月には参議院選挙がある。
自民党はなるべく早く解散するのが党利上はいいだろう。というのは、衆議院の任期満了を待てば、衆議院選挙は9月になるから、次の参議院選挙まで10ヶ月にも満たないことになる。
民主党政権が誕生していたとして、まだその熱気が冷めやらぬうちに参議院選挙を戦えば、自民党は2010年の参議院選挙でも敗北しかねない。
なるべく早くに解散して勝てばよし、負けたとしても民主党政権に「飽き」がくるよう、ある程度の長さが必要になる。そのためには負けるのであれば早くに負けた方がいいのだ。
参議院害悪論が政界で力を持つためには、自民党民主党もどちらもその害悪にほとほと困惑するしかないのだ。
だから2010年の参議院選挙では、2009年に政権交代が成っていたならば私は自民党に投票しようと思う。
参議院選挙は国政選択選挙ではないので、与党に批判票が出やすい。ことに近年はその傾向にある。これはつまり、福田政権や麻生政権が陥っている国会統制能力の欠如が、今後も常態化しかねないということを意味している。
システム上の問題はあくまでシステムの話なので、本来は論理的に話せば理解できる話なのだが、実際にその弊害を目の当たりにしなければ分からない人も残念ながら多い。例えば、今は民主党はこの弊害ゆえに力を持っているので、民主党支持者からすれば参議院さまさまだろう。
そうした人からすれば参議院害悪論なぞもってのほかのはずである。
しかしそうした人は、民主党が与党になり、いずれは今の自民党と同じ立場に立たされる可能性を考慮していない。今しか見ていないのだ。
ヒンズー教シヴァ神が破壊と同時に創造を司っている神だというのはいつ思い起こしても示唆的である。
創造をするためにまずは破壊が必要なのであれば。
私は破壊を促す行動をとるのが合理だと思う。