借金してでもカネ作れ

車いす少女入学拒否について(元町民として)
この、奈良県下市町の元町民というマスダさんだが、「これだけ問題点をあげましたが、私はこのことから彼女が養護学校に行くのが当然だと言う気はありません。かといってどんな犠牲を強いても彼女が下市中学校に行くべきだとも思えません。」と言っているが、「財政難ゆえに養護学校に行くべき」と言いたいのがみえみえ。
当たり前の事をひとつ指摘しておきましょう。
今日の学制の義務教育制度が出来たのは1947年。今年は2009年ですね。はい、62年経過しています。
その間に、この町では、身体障害を持つ生徒はいなかったのでしょうか。
彼らのうち、普通中学への入学を希望した生徒は誰もいなかったのでしょうか。
もうひとつ当たり前のことだが、日本には義務教育があって、これは単に、政府・行政が義務を負っているのみならず、国民ひとりひとりが義務を負っている。
通常の知能を持つ子にとって、養護学校で教育を受けることがハンディになることは充分に予想される。当人が望む望まないに関わらず、望むならばなおのこと、物理的に受け入れ可能な環境を整えておくのは当たり前のことであって、問題はこの程度の問題発生予測能力も無い問題意識の欠如にある。
それはつまり、障害者を普通中学に受け入れるつもりがはじめから無い、ということであって、義務教育の平等な遂行をなそうという気が無いということだ。


これまでこの当然の義務を怠ってきたのだから、仕方が無かろう、下市町はどれほどの財政負担を背負うことになろうとも、そのために他のサービスを著しく低下させようとも、なすべき義務をするべきである。
今まで障害者を犠牲にして免れてきた負担だ。
加害者、被害者に分けることが妥当かどうかはともかく、この生徒の要求を「過剰」だとか「我侭」だと見なす意識が下市町にあるのだとすれば、敢えて言うが、加害者は生徒ではなく、下市町とその町民である。甘ったれるな。国民の義務さえ、田舎町であることを言い訳にして果たすつもりもないなら、日本国民であることを辞めればいい。


マスダさんが書いたような言い訳が言い訳として通用すると思うメンタリティ自体が問題である。
義務教育には国庫負担もあり、下市町の児童の教育費は下市町民のみが支払っているのではない。敢えて乱暴な言い方をするが、てめえのガキの面倒を他人がみるのは当然だがてめえはてめえの町の障害を持つよその家のガキのためにはカネを支払いたくねえったあ、どういう了見だ?
そういう了見が今まで「当たり前」としてまかり通ってきたからこそ、今頃になってこんな問題が起きているのだ。この問題が起きるまでに、どれだけの子がてめえらの「同調圧力」に押し潰されて泣いてきたと思ってるんだ?


この義務を果たすために、道路も作れないなら道路は作るべきではない。
この義務を果たすために、老人福祉を削らなければならないなら、削るべきである。
この義務を果たすために、農業助成もできず農家が倒産してしまうならば倒産するべきである。
なんと言っても、これは国民の義務の話なのだから。