ソフトパワー?

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090703/p1
の記事に、

くだらない独善としか思えないね。↑マイケルは他人のショーを邪魔しはしないよね。いやそういう話でしょ。その「意味」をつけるところが独善なんだって。いかにも英国的独善を感じるよ。アメリカとはまた違うけど。

とコメントをつけたら、

ああ、そういうことですね。それは前提に置いてますよ。アメリカの(無自覚な)夜郎自大オプティミズムとイギリスの島国根性ニヒリズムとの文化的コンフリクトの瞬間がこれ、という話。

とお返事が。


差別された中から出てきたブラックミュージックに根を持つマイケルが夜郎自大オプティミズム?私はむしろその夜郎自大性は白人であるその男の中に見えてしまうのだけど。
その批判精神や懐疑主義を、自らのバックボーンや状況に対しても向けたうえで、行動を起こしているとはとても思えない。
私は洋楽はそれほど詳しくないので、この男を知らないけど、知っている人もかなりいるようでそれはUKのアーティストだからで、それは英国の帝国主義の歴史に由来する遺産を彼が享受しているということでもあるのだけど。
テキストを恣意的にコンテキストに当てはめて読み解くことが可能であるならば、そのような読み方も可能であるはずで、自らの「アンチ」としてのアイデンティティのために商業的なショウビジネス(需給を通して、消費者によって支持されている供給品)を利用していることに対する批判性は彼は持ち合わせていないよう。
頭が悪いのか、独善なのか、その両方なのかは知らないけど。


80年代以後、マイケル・ジャクソンはコカコーラやスピルバーグと同じく、アメリカを代表するソフトパワーのひとつになった。しかし彼はもともとアメリカ文化の主流の中から出てきた人ではなく、アメリカ社会のある種の変質の結果として、あのような形でスターダムにのしあがってきたものだ。
たぶん黒人の中からも、批判はあるだろうと思う。ある種の、アンクル・サム的な偶像ではないかと。しかし例えば50年代の黒人スターとは明らかに受容のされ方が違う、むしろ「反抗的な黒人ヒップホップカルチャーをプロテストのイメージと消費する」、反マイケル風の黒人カウンターカルチャーの方が、黒人文化をアクセントとして消費する「ハリー・ベラフォンテ」的な消費構造に近似している。
オバマを大統領にした、「ポップの下における平等」は「いいこちゃん風」のMJ的なるものから生じたものなんだけどね。