ケビン・メア氏の「沖縄侮蔑」講演問題について

メア氏講義メモ私訳 - 極東ブログで、finalventさんが批判されたのは訳が恣意的過ぎたからである。極端に例えて言うならば、「あいつは異常者だ」という発言を「彼は非凡な人です」と訳したようなもので、テキストを作り変える意味合いをfinalventさんの訳は持っていた。
これについて、finalventさんは、メア氏問題の背景で次のように語っている。

私訳したのは、「ごまかしとゆすり」というメディアの訳語が一人歩きしているので、この時点で可能なかぎり妥当な文脈を捉えてみようとしただけにすぎない。

しかしそれは「妥当な文脈」以上のものであった。全体に、finalventさんの訳は意図的に攻撃的なニュアンスが和らげられていて、テキスト自体を忠実に追ったものではない。そのテキストの妥当性に疑念があるゆえに、敢えて意図的に和らげたというのであれば、先にそう明言しておけばいいだけのことであって、好意的な表現をしたとしても「後出しジャンケン」というしかない。
元のテキストが複数の証言者による寄せ集めであり、講演で述べられた言葉そのものではない以上、そこに恣意的な解釈が生じる余地はある。「駆け引きと補償の請求」と実際には口にしたとして、そこに悪意が介在すれば、「ごまかしとゆすり」に解釈されてしまう可能性はある。
まして、後日、メア氏本人からの異議申し立てがあった以上、テキストをめぐる問題としては、アメリカン大学のバイン准教授とメア氏の言い分は真っ向から食い違っているのであり、テキスト表現の真相は藪の中ですよねと言うしかない。
ただ、両者が食い違っているのは、いくつかの単語を言った言わないという点であって、メア氏の思考・見解そのものは抽出することが可能である。
・米軍基地の沖縄県外への移転は非現実的である。
・軍がなくなれば平和になると考えているような人たちとは現実的な対話が困難である。
・米軍基地の存在が市民生活に与える危険性は、福岡空港伊丹空港と同程度である。
・日本の自衛隊の訓練は実態に即していない。
・沖縄の米軍基地問題は実際には日本国内の政治闘争である。
・日本政府は支援か基地の存続か、二者択一をはっきりと沖縄県に対して迫るべきである。
・日米同盟からアメリカは利益を引き出しており、現状維持がアメリカの国益としては最も望ましい。
だいたいこういうところだろうか。
彼の主張をざっと見て気づくのが、米軍自体の責任をまったく無視している点であり、主張の中にも矛盾が色濃く刻まれている。例えば、沖縄の米軍基地を福岡空港伊丹空港との同程度の市民生活への危険とみなしながら、自衛隊の市民生活へ配慮した訓練を「実態に即していない」と批判している。自衛隊の訓練が実態に即しているかどうかはともかく、その「実態に即していない訓練」を自衛隊を例えば福岡空港で行っているならば、福岡空港が市民生活に与える負担と沖縄の米軍基地がもたらす負荷を同程度に見なすことは出来ない。
また、基地反対派を教条主義的な狂信的な人たちとみなす一方で、日本政府と沖縄県の交渉をごく現実的な利益をもたらすためのプラグマティズムにのっとった「利己的な駆け引き」と見なしているわけで、反対派のキャラクター観を統一できていない。
私は彼の主張からは、単純に彼の能力に対する疑問がわきおこるのだが、現実を把握できない能力の欠落は、「見たいようにしか見ない」というアメリカの知的エリート全般に傾向的に見られる陥穽である。
沖縄の基地問題については、反対派の中にもいろいろ考えはあるだろうが、単純に市民生活により負荷を与えない存在の仕方が、程度問題として可能ならば、米軍基地の存在を受容する人も増えるはずだろう。本当に市民に危険を与えるような訓練が必要なのか、必要だとして、より負荷を与えないような方法はないのか、米軍の犯罪率を下げられないのか、もっと努力する余地はないのか、そういう試みをもたらすモチベーションは「俺はまったく悪くない」という発想からは絶対に生じない。
私が思うにそれが最たる問題だと思う。
米軍の存在は民生上もちろん悪いことばかりではない。異文化との交流や、雇用、市場を生み出し、「もし、事故や騒音、犯罪の発生などの負荷が受容可能な範囲内にとどまることができるなら」誘致を試みたい自治体とてあらわれるはずだ。しかし現実に犯罪率ひとつとっても、欧州の米軍よりも日本の米軍は犯罪発生率が高いし、沖縄では更に高い。
「俺は全く悪くない」と思っているから問題解決に着手する糸口すら見いだせないのである。
そういう意味では、メア氏の存在が米軍基地問題の解決にとって、むしろ阻害要因にしかなっていなかったのは明白だと思うし、彼の退任は日米同盟にとってはむしろ望ましいことであったと思う。