ガーター勲章について

ガーター勲章は1348年に始まったガーター騎士団の団員に授与されるイングランドの最上位勲章である。同様の勲章にスコットランドのシッスル(あざみ)勲章があるが、シッスルがスコットランド人か、スコットランドに非常に縁が深い人物のみに与えられるのに対して、ガーターは外国人に対しても授与されている。
シッスルにも外国人に対して与えられた例はあるが、これは極めて例外的な事例で、基本的にシッスルは国内的な対スコットランド統制に用いられ、ガーターは国内、コモンウェルスにとどまらず英国の対外的な外交戦略に沿って授与されている。
英国王妃でもガーターは授与されてもシッスルはされていない例がほとんどで、最直近の王妃である故エリザベス皇太后はその数少ない例外であるが、彼女の場合はスコットランド貴族の出身であるという特別な事情がある。
勲章制度は顕彰する利益主体があるわけだが、英国の場合は、政府、王室、君主個人、行政府、スコットランドコモンウェルスと多様な主体があり、それぞれに応じて多様な勲章が設置されている。
ガーターはそれらを包括する最上位勲章であり、利益主体の融合としての国家そのものの利益と密接に関わっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Knights_and_Ladies_of_the_Garter
英語版ウィキペディアに歴代ガーター騎士のリストが掲載されているが、昨年、ウィリアム王子に授与されたのがちょうど創設以来1000人目となった。
その2年前に女王の次男のヨーク公(当時46歳)と三男のウェセックス伯(当時42歳)が叙勲されていて、女王の長女のプリンセス・ロイヤル(アン王女)が44歳で叙勲されたことを踏まえれば、おおよそ40代半ばまでに叙勲されるのが直系王族の相場ということになる。
ウィリアム王子の場合は、26歳での叙勲だから相当に早いが、これはもちろん彼が王位継承の直系に位置しているからだろう。
最近の叙勲者を見れば、国内の行政職、首相経験者、有力貴族、王位継承権者、コモンウェルスの総督、そして王族が中心になっている。
外国人への叙勲は、王族がほとんどであり、欧州の君主は、格下のモナコリヒテンシュタインを除いて、ほぼ叙勲されている。
最近取り沙汰されているのは既に即位後、16年が経過しているベルギー国王のアルベール2世への叙勲が遅れていることで、これは先王のボードゥアン1世の葬儀の際、珍しく他国の慶弔行事に出席したエリザベス女王に対して、プロトコル上の非礼(あくまで英国側の解釈で)があったという話があり、それに対する報復という説もある。
ちなみにエリザベス女王の慶弔行事への出席は極めて腰が重く、出し惜しみをすることでとりようにとっては悪名高い。昭和天皇の葬儀には、エディンバラ公が出席したが、ここはせめてチャールズ皇太子だろう*1。とは言え、英国は他の国、欧州諸国に対してもそうした王室外交儀礼的に非礼をなすことが多く、王室外交を戦略的に行いつつ、そのブランドを維持しようとしていることの表れだろう。
タイのプミポン国王(ラーマ9世)の在位六十周年に際しては、日本からは両陛下が記念式典に出席されておられるが、英国が派遣したのはヨーク公であった。アジアと欧州の距離を考えれば、あり得る選択ではあるけれども、吝嗇な選択であったのも確かで、英国政府はそれを機にタイとの友好を深めることよりは、英王室のブランドを維持することに重点を置いたわけで、こういうことからも外交姿勢は透けて見える。
ボードゥアン1世の葬儀に例外的に女王が参列したのは、英王室とベルギー王室が共にザクセン・コーブルグ・ゴータ家という同一の家系に属するという特殊な事情が作用している(ただし英国はウィンザー家、ベルギーはベルジック家と改名)。
ベルギー側に仮にそれに伴う非礼があったとすれば、そうまで好意を示したにも関わらず足蹴にされたということでエリザベス女王の怒りは相当なものがあろう。
それが現国王に対するガーター叙勲への遅れとして表面化していると見る向きもある。


明治以後、日本の歴代天皇は「順当に」ガーターを叙勲されていて、明仁天皇も即位後7年目にして叙勲されている。天皇へのガーター叙勲はすでに慣例化されているわけだが、当初は英国側もガーターを出し渋った。
明治天皇への叙勲が実現したのは日英同盟の特殊な二国間関係と日本側が強硬に要求した結果である。本来、ガーター騎士団キリスト教精神を基盤に据えていることから、キリスト教徒のみを対象とするのが筋であるが、既に非キリスト教徒であるペルシアのシャーに授与された前例が二回あった。
これはもちろん英国の中東政策、そしてインドへの道を確保する帝国政策と関わっているわけだが、前例があるじゃないかと指摘されて、拒絶できなかったというのが明治天皇へのガーター叙勲への実情である。
そしてひとたび叙勲がされれば、次代以後はそこが維持水準になるので、ペルシアのシャーへの叙勲も二代連続している。日本の天皇への叙勲も、以後、大正天皇昭和天皇へと続くのだが、昭和天皇は日英開戦を機にガーター騎士団から除名され、1961年に再叙勲されている。
日英関係を再構築する意思の英国側の表明であったと解釈していいだろう。
欧州の君主を除けば、ガーターを叙勲されている君主・元首は現在では日本の天皇以外にはいないだけに、英国が叙勲制度において日本の皇室を優遇、重視しているのは事実である。
ただし先に述べたように非キリスト教徒の君主への叙勲としては、日本の天皇に先立って、ペルシアのシャーへの叙勲もある。イラン人がアーリア系であるのは確かなので、彼らは白人に分類されるべきかも知れないが、れっきとした有色人種の君主への叙勲の例もある。
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエへの叙勲だ。ただし、彼は第二次大戦における英国の盟友であり、キリスト教徒であった。だが、日本の天皇のみが非キリスト教徒あるいは有色人種の中でガーターを叙勲されているというのは明らかに事実ではない。

*1:もっとも、これは相当に考え込まれた選択である。昭和天皇には戦争犯罪の問題があり、英国内では葬儀への参列自体を取りやめるよう求める声も大きかった。しかし日本はサミットの一員であり、アメリカを通して英国とも「又同盟」の関係にある。そこで両者に顔をたてるため、敢えてエディンバラ公という選択になったと言う。エディンバラ公は王位継承権者ではないので、その意味では「軽い」。しかし女王の夫として、王室内序列は第二位になる。配偶者の地位は、その夫あるいは妻の地位に付随する。当時の英王室内での序列は君主であるエリザベス女王が第一位、女王の配偶者であるエディンバラ公が付随して第二位、エリザベス皇太后が第三位、チャールズ皇太子が第四位、ダイアナ皇太子妃が第五位であった