ネット右翼ってなんなんだろう? 大きな物語ってなんなんだろう?
SMAPの中では、僕は吾郎ちゃんが一番好きで、と言うか、俳優としては一番上手い人だろうと思っているのだが、最近、NHKの番組で、稲垣吾郎が、ナショナリズムに関する読書討論会を仕切っていて、その言説に右翼の百田尚樹が噛みついたと言うことがあった。
まあ、僕もその番組は見ていないんだけど。
ただ「ネット右翼の人たちは」とか「大きな物語に寄りかかっている」とか、何の定義説明や比較検討もなく、言われると、関係のない僕でも「?」となる。
結果的に百田らのクラスターを批判的に揶揄しているのであろうから、百田がそこんとこきちんとしてよね、と言うのはむしろ当然なのではないだろうか?
僕のこの考え、間違っている?
アンダーソンが指摘したように、ナショナリズムにはむしろ左派との結合関係が歴史的には顕著で、排外主義的な側面に限ったとしても、アメリカでも日系人移民を排斥したのは民主党政権下だったよね、と言うようなことも思い浮かべる。
なんかこうふわっとした仲間内のロジックは、その仲間でないとまったく理解できない。「ネット右翼の人たちは」「大きな物語によりかかっている」としても、だからと言ってそれが何がどう悪いのかさっぱりわからないが、そもそもそれは「ネット右翼の人たち」のみに見られる話なのだろうか。
そして「ネット右翼の人たち」とは誰なんだろうか。
そういうふわふわとしたロジックで満足しているのは、右であれ左であれ実にマスターベーション的であり、むしろ知的退行なのではないだろうか。
そんなことをこの国はもう20年以上続けているよな、と思うのだった。