知識と教養と

歌舞伎は家系の物語でもあるから、先代からの因縁等があって、誰が誰に稽古をつけたとか、そういう話を一つとっても、そこから広がってゆく物語があるものである。先日亡くなった團十郎は十一代目からの諸々の因果を大きく優しくとりなした人で、その大きさが市川宗家に相応しい人であった。十二代目は十一代目よりもなお大きな團十郎であった。そうした家系の物語は知らない人にはさっぱり分からないが知っている人には見えない物語を見せる。
インテリジェンスとはそういうものである。インテリジェンスは表層の知識をつなぐ裏の関係性の物語である。裏であるからそもそも、見えない人には見えない。見えていないから、見えていないと言うことも分からない。これは無知の知というような、精神的な話ではないのである。「2、3、5、7」とくれば素数のつながりだが、素数の概念を知らなければそれはただの数の羅列に過ぎない。ただの数の羅列だというのも本当ならば、素数のつながりだというのも本当なのだ。ただ、表層に現れる情報をつなぐインテリジェンスがあれば、次はおそらく「11、13」と続くと予想できる。それが、知識そのものとは決定的に異なる教養の力なのである。
知らなければ調べればいい、知識は必要に応じてアーカイヴから抜き出せばいい、知識の重要性は決定的に低下した - そういうことを言いたがる人が多い。インターネットの発達に応じて、知識を得るために私たちがかけるコストは劇的に低下した。それは確かだ。私が学生だった時にはインターネットはまだ一般化されていなかったから、ある固有名詞を探すためだけに私は200冊を越える専門書籍をあたらなければならなかった。今では20秒で検索できる。ただその過程で、情報の絶対量自体が私個人の中に蓄積してゆき、インテリジェンスを駆使することが可能になった。それは今の便利な環境の中では、よほど頭がのいい人が意識的にこなさなければなかなか身に付きづらいものである。
知識は内面化された絶対量がまず重要である。これを外部にアウトソーシングして事足りるとする人はインテリジェンスには絶対に向かない。それはただの項目ごとの情報処理に過ぎず、より重要なのは知識と知識をつなぐ、関係性であるからである。つなぐべき知識が自分の中で内在化されていないならば、関係性は生じようがない。
情報は必要に応じて引き出すものではない。インテリジェンスを構築するための素材として先になければならないものなのだ。情報を足場にしてインテリジェンスを構築していくのだから、「必要に応じて」後から情報を取り出すことは出来ない。あるかないか、ふたつにひとつである。ない人はインテリジェンスを構築できないだけであり、構築できないから構築できていないということさえ分からないのである。


先日、国会で「クイズ」があって、安倍首相が法学士でありながら、芦部信喜の名も知らないということが明らかになったが、これは立法府の人間としてどうなのかと話題になっていた。芦部先生のお名前くらいは、憲法を多少かじれば、覚えるというまでもなく、「覚えてしまう」ものであって、特に公共の福祉の調整、何が出来て何が無理筋なのか、立法府の人間がざっとでも体系を理解していないというのは、それで仕事が務まるのかというレベルの話である。これはただの項目の知識の問題ではない。コンテキストを読み解くインテリジェンス能力があるかないかを疑われているのである(そしてたぶん、それは無い)。
宮澤喜一田中角栄だったら知らないと言うことはあり得ないはずだ。竹下登小渕恵三だったら、大枠の理解自体は出来ていたはずだ。これは自民党や保守だけの話ではなくて、世代を越えるごとに政治家が劣化している。日本国の政治が劣化しているのは単純に政治家が劣化しているからである。
その劣化というのも、何も難しい話ではない、仕事に必要なインフォメーション能力が劣化していて、インテリジェンスがなおのこと劣化しているからである。
これは政治家だけの話ではなくてそれを批判するマスコミにおいても同様である。
以前、一例として毎日新聞が犯した例を挙げたが、これは後日、朝日新聞もまったく同じ間違いを犯していた。政治報道の専門家たちが政治の知識においてウィキペディアレベルにさえ達していない例としてもう一度それを挙げておこう。
2008年のアメリカ大統領選挙において、毎日新聞は「(フーヴァーが当選した)1928年の大統領選挙以来、現職・元職の正副大統領が絡まない大統領選挙」と評した(後日、まったく同じ表現を朝日新聞が用いていた)。その間、19回の大統領選挙があったのだから、一個一個この条件にあてはまるかどうかを見ていけば済む話である。ざっと見て、現職・元職の大統領・副大統領が絡んでなさそうなのは、1952年のアイゼンハワー対スティーブンソンである。アイゼンハワーは軍人から政治家に転身したばかりだったので、当然、大統領・副大統領経験はない。ここまでは一般常識である。で、問題になるのがスティーブンソンと言う人がどういう人なのかということである。アイゼンハワー共和党なのだからスティーブンソンは当然、民主党系列の人であり、フランクリン・ルーズヴェルト政権、トルーマン政権の副大統領を考慮すれば、彼が副大統領経験者かどうか分かるはずである。念のためそれ以前のウィルソン政権まで含めても、彼の名はみあたらないので、スティーブンソンは副大統領経験者ではない。
なぜ毎日と朝日は1952年の例を見落としたのだろうか。テクニカルな問題としては、1952年の民主党の大統領候補であったアドレイ・スティーブンソンには同名の祖父がいて、その祖父は19世紀後半唯一の民主党政権南北戦争直後のアンドリュー・ジョンソン政権を除く)クリーブランド政権で副大統領を務めている。同名の人物なので、混同した可能性が高いが、常識的に考えて1893年から4年間、副大統領だった人物が、1952年に現役政治家であるはずがない。50年以上のブランクがあるわけで、今の日本に当てはめれば池田隼人なんかが現在現役の政治家でいられるのかという話である。あり得ない。このあり得ない誤読を、毎日も朝日も、複数の記者が署名した記事で犯したわけで、それは単にケアレスミスでは済まされない、もっと深刻な問題である。
まず、1952年の民主党大統領候補となったスティーブンソンは1956年にも民主党の指名を獲得して、今のところ、現職の大統領以外で、唯一、主要政党の大統領候補に二度にわたって指名された人物である。つまり、経歴的にも人脈的にも民主党の中心にいた人であり、彼のことを知らないということは、当時のアメリカ政治の状況を知らないということである。さらに重要なのは当時の政治状況というのは赤狩りの真っ最中であり、ウォレス元商務長官らが共産党シンパと批判される中で、ルーズヴェルト派の中核を担った存在であって、ルーズヴェルト派からすれば異端の右翼としてケネディは登場したことを踏まえれば、民主党内の路線対立でも頻繁に登場する人であって、実際、この時代のアメリカ政治史の書物では欠くことが出来ない固有名詞である。ケネディは人脈的には赤狩り派に近かったが、それでもエレノア・ルーズヴェルトの執拗な要求によってルーズヴェルト派を何人も政権に受け入れ、スティーヴンソンもまた国連大使に就任し、特にヴェトナム戦争をめぐる国際工作では名が取りざたされている。
アドレイ・スティーヴンソンを知らないということは、50年代の政治状況、そしてヴェトナム戦争へと至る経緯を把握していないということであって、アメリカ政治について記事を書くアメリカ政治の専門家と目される毎日・朝日の記者たちが何人もたばになっていながら、こういうことを知らないということなのである。
それは単なるインフォメーションの欠落ではない。インテリジェンスの欠落なのだ。
この欠落したインテリジェンスを土台にして、外交世論が構築されているとしたらおそろしいことではないか。
路線の対立とか、そういう高尚なレベルの話ですらない。計測機器が機能しないままジャンボジェットを操縦しているようなものだ。ダッチロール飛行になるのも当たり前ではないか。