雷句誠氏による小学館提訴問題に関する感想

(株)小学館を提訴。 - 雷句誠の今日このごろ。
反響など・・・ - 雷句誠の今日このごろ。
更にいろいろな反響。 - 雷句誠の今日このごろ。
まゆたんブログ - 思うこと。
まんが界崩壊を止めるためには(1) - たけくまメモ
まず本筋とは関係のないことから一言いうと、小学館の漫画雑誌出身の漫画家さんたちはさすがに句点をきちんとつけるのだなあと思った。
最初に立ち位置を言っておくと、私は雷句氏にこの件についてはシンパシーを感じている。そのうえでの意見を言う。


たとえ育てる意味があるとしても、たとえそれによって作品がよくなる可能性があるとしても、人を人とも思わない傍若無人な態度は社会人としてはNGであるし、それ自体が訴訟対象になり得るだろう。
これまでならなかったとすれば、単に力関係の問題だ。
法的には通らないような不当圧力を駆使して、漫画家を侮蔑するような慣行の中に身をおいていた編集者たちが、今、自分たちは組織人なので反論もままならないと力関係のうえでの弱者を装って泣き言を言うのは通らないと思う。
雷句氏の告発が名誉毀損に相当するのだと言うのであれば当事者たちが粛々と法的手段をとればいいのだ(その過程で、その内容の事実判定はなされるだろうが)。
たけくま氏は、力関係を基盤にした漫画出版業界の前近代性を指摘するが、こうした悪しき慣行はおおかれすくなかれいずれの業界にもあるものだ。
ただしマスメディアは報道機関を掌握しているので、他の業界のこうした不祥事に比較して公に糾弾されることが少なかった。
基本的には騒動になっている小学館騒動は、法秩序と業界慣行の対立の構図のうえに生じているのだが、雷句氏サイドの告発やその応援ブログを見ているとそこにも法秩序上どうなのかなと疑問を覚える点も多々あった。
特に、新條まゆ氏のブログ、まゆたんブログでの記事、思うこと。では、幾つかの事例が編集者の「不当さ」の文脈で引かれているが、それらを読んで、彼ら漫画家も結局は「体育会系体質」なのではないかと思った。


たとえば、ストーリーを提案する、ネタを影響することは、それをしない編集者もいるのだから編集者の本来業務とは言えない。著作人格権が漫画家個人のみに属する以上、本来はそうしたことはすべて漫画家ひとりがすべきことだと言える。
「作品は漫画家と編集者の共同作業」というのであれば著作人格権を編集者にも与えるべきだし、著作人格権が作家個人に属することを徹底して言うならば、作品の内容に編集者が関わらないことを非難すべきではない。
また、労働者である編集者が公休日に仕事を持ち込むのを拒否するのは当然である。そうした態度をサラリーマン編集者と嘲笑する向きもあるが編集者はまさしくサラリーマンなのであって、いったい何を期待しているのだろうか。過剰な労働を期待するならば、契約と報酬が必要だ。それが法秩序だ。
新條まゆ氏のブログを読んでいて思ったのは、漫画家が不当に扱われていると法秩序に沿って言っているふうでありながら実はそうではなく、漫画家の要求に沿って編集は仕事をするべきだとやはり法秩序外での要求をしているように見えた。
四六時中、家庭もなにもかもを犠牲にして、「編集の鬼」であることを要求するのは、漫画家側サイドに立った前近代性であって、前近代性があることが批判されるならばどちらも批判されるべきである。
そのようなことを感じた。