戦前マインド

筑波大学大学院教授・古田博司氏が産経ニュースに寄稿された、
朝鮮民族の復讐のカタルシスを読む。
あやふやな部分も多いとは言え、少なくとも新羅統一から言っても1300年余り、相応の歴史の長さを保有しているのだから、朝鮮民族の産物に、見るべきものが多数あるのは当然のことだ。
しかし彼らの発想を聞くと、時に驚かされるのが、日本人が口にすれば帝国主義的な妄想と指弾されかねないような発言、発想をすることだ。
例えば旧帝国は戦前において、その実際的な領域を南洋や満州にまで拡大したが、そのことを誇るという感覚は現在の日本人にはほとんどない。それは侵略という文脈で読み解かれる負の歴史であって、当時はともかく現在では、外国の都城に日の丸が翻り、万歳万歳、というような感覚自体がない。
もちろんそうした拡張主義は人間一般に広く原初的に存在する感覚ではあって、領土を拡張してゆくことがすなわち成功であるシミュレーションゲームは広く一般に受け入れられているし、企業とても拡大拡大につぐ成長路線をひたすら突き進む。
ただ、現代にあってはそれに伴う悲惨や抑圧があるのも広く常識として知られていて、じゃあもう一度侵略するかと言われても、いくらカネを積まれてもお断り、というのが日本人全般の感情だろう。
安全保障上の理由はともかくとして、あるいはそれさえも、外地へ進出していいことなど少しもなかった。
朝鮮王国・大韓帝国はことさら平和思想を持っていたわけではなかったが、侵略することは物理的に不可能だった。それはつまり拡張主義の負の側面を、拡張する側として経験することが足りなかったことも意味し、わりあい素朴なエスノセントリズムの発想があちらこちらで見受けられるのである。
それが許されていたのは、単に韓国が弱小国だったからで、刃物も持ちうる立場になる以上、もう少ししっかりしてもらわないと困るのだが、古田教授によると、それでも状況は徐々に好転しつつあるのだと言う。
中国で「歴史泥棒」扱いされた韓国 - 朝鮮日報
のように反省もなければすぐに陰謀論に与する、こうした発想を見ればなかなか楽観はできないだけど、それでも同じ朝鮮日報には、比較的冷静な分析記事が掲載されることも多い。
振幅の度合いを次第に小さくして、より穏健な方向へリードできればいいのだが。
戦中、戦後を経ずして戦前マインドを乗り越えることができるか、韓国が直面している問題はそういうことだ。
朝鮮日報は時々、私が日本人として持っている常識から言えば十分に「変な新聞」なのだけど、自国のエスノセントリズムに批判的な記事も書くからまだしもマシなほうだ。
明らかに事実に反する虚偽をBSE報道で垂れ流しているMBSやKBSなどの放送局は、最低限のジャーナリズム倫理もない、扇動屋そのものなのだが、インターネットが十分に発達した韓国にあって、かくもたやすく踊らされる民衆というのはいったいどうしたものだろう。
かくして国は荒れ、国は滅び、人々は外国へと移住する。
日帝もいない世界にあって国の経営すら満足にできなかったならば、韓国人は今度は誰のせいにするのだろう。