クレーマーをモンスター扱いする人たち

社員が嘘を覚えるとき - 遙洋子の男の勘違い、女のすれちがい
確かにこの人は同種のトラブルが多発しているようで、どのようなトラブルかという問題であると同時に、なにをトラブルと見なすのかという受け手側の耐性の問題でもあるかも知れない。
しかし、べつだん基準が非常に厳格であるのは、当人が生き辛いだけで、当人がそれでよしとしているならば、当人の自由であって、他人が口を挟む話でもない。
「寛容でなければならぬ」とするブックマークのコメントの狂気じみた不寛容さの方がよほど辟易とする。
この記事の件について言うならば、
・顧客に対して嘘をついたか YES
・その嘘が顧客にばれたのか YES
・嘘をつかれたことにたいして、クレームをつけることは妥当か YES/NO
であって、最後の条件の答えが YES であるならば、彼女が非難される筋合いではまったくない。サービスの提供側がトラブルを避けたいならば、嘘をつかなければいいだけのことだ。
メタミドボスが混入した食品についても、「これにクレームをつける消費者はクレーマー」「いやならばそこから買わなければいいだけ」と彼女を叩いている人たちは嘯くのだろうか。
もちろん、メタミドボスの混入と、遙氏のこの件を比較すれば、前者は明らかに法律違反であるのに対して、後者は厳密に言えばともかく明白性を帯びた法律違反とまでは言えないかも知れない。
だが、ここで問われている核が「嘘をつくことの是非」である以上、嘘をつかれたとしても寛容でなければならないと遙氏を非難している人たちは言っているのであり、自分が仮にそれをされたとして寛容に許すのだとしても、他人がそれをしないからといって非難するとは、彼女を何様のつもりと非難している人たちの方がよほど何様のつもりである。


[追記]
ブックマークに対する意見として。
>id:REV
「寛容を要求する不寛容さへの不寛容について。」
もう一回メタな話にして、皮肉を言ったつもりでしょうが、「オレってあたまがいい」と言っているのと同類にしか見えません。私はそもそも寛容であるべしと言ったこともないので、ある種の不寛容さに対して不寛容であるのは言うまでもないことです。
>id:aozora21
「そこまで甘やかす必要はない」というのであれば、何が問題なのか理解しかねます。クレームをつけるに際して、末端とそれ以外に区別する発想自体理解できません。消費者からすれば、一個の組織であるには違いなく、組織の人として働き、組織の人として対峙している人を組織として扱って何の不都合があるのでしょうか。末端の立場や能力を慮ってあげること自体には反対しませんし、実際問題として、現場に文句を言ったところでらちがあかない傾向が強いのは確かですが、消費者側が慮ってあげねばならないとはまったく思いません。
>id:TakahashiMasaki
「のクレーマー記事から("べつだん基準が非常に厳格であるのは、当人が生き辛いだけ"(ほかのひとらがめーわくするでしょ」
クレームをつけられた相手が「迷惑をする」のは当たり前のことです。三笠フーズもクレームをつけられて、迷惑をしたことでしょう。要はクレームの内容と妥当性の問題です。クレームをつける、迷惑を消費者側が被ったのであれば、些細なことであればめくじらをたてれば自分が結局は損をするということは傾向的には言えますが損をしたとしてもクレームをつけたいのであれば当人の自由であり、クレームを受け付けないというのであれば法的な問題はともかくとしてそれもまた受け手側の自由です。あなたのこの種のコメントはクレームをつける正当な事由があると考えている人にとって、そのハードルをむやみにあげるという意味で“ほかのひとにめーわく”です。
>id:NOV1975
「あのような会話のやりとりを嬉々として書く人をクレーマー以外になんと呼べばよいのか。動機が「自分は完璧だし他人も完璧であるべき」であれば不寛容と呼ばれても仕方あるまい。」
クレーマーをクレーマーと呼ぶのは当たり前でしょう。それ以外に何と呼べと?クレーマーとはクレームをつける以外の意味はないのであって、この語に不要なニュアンスをこめていることが不当だと思います。人と人とのやりとりの中でクレームが生じるのはまったく当たり前のことであって、クレームをつけることは自分が完璧だと思っていることではないし、相手に完璧を要求することでもありません。その因果関係はただあなたの中にだけあるものです。あなたは何をされようがクレームをつけなければいいでしょう。それはあなたの自由ですが、そうすることがあなたが上等な人間だと意味するのではないし、クレームをつける人が偏狭だということでもありません。