DNA鑑定義務化法試案

私はそもそも、法務省の運用で充分に偽装認知は防げる(少なくともこれまでと同程度には)と思っているので、法律上の問題や費用、手間、正確さの担保を考えれば、DNA鑑定は不要であり、全体の利益を損なうと思っている。利益があるとすればそれを求めている人たちを心理的に安心させることだけだ。
飴をしゃぶらせなければ泣き喚くとは、どれだけ幼稚な話かと嘆息するが、それでも彼らもまた国民であるには違いない。国民を安心させるのも意味がない話ではないだろう。
仮に義務化をするとして、最大の問題である検体の入手の絶対性をどうやって満たすかについて考えてみる。
今回の法改正の対象者は生後認知を受けている外国籍の、父親が日本人である未成年者なので、認知に際して鑑定を義務づければ、その後の手間は省ける。
父親が自発的にであれ、強制的にであれ、認知をする際には父親が同定され補足されているのだから、その時点で鑑定の強制は(そうした法整備があれば)可能である。
ただしDNA鑑定の結果を認知の是には及ぼさない。
父親が認知を拒否していて、鑑定の結果、血縁上の関係がないならば、認知が認められないのは当然だと思う。
父親が血縁上の関係が無いことが判明していてなお、認知を望むのであれば、それは是とする。
そうであれば認知の意思主義は保全される。
これは将来における、子からの親子関係無効を求める際に、むしろ子の権利を守ることにもつながるだろう。
国籍確認、取得は単に普通の認知に基づく権利のみではなく、国籍を取得するという特殊な権利が関わってくるので、国籍獲得の権利を通常の認知上の権利と分けて考えるのは合理だと思う。
生得的な国籍の獲得が血統主義に基づいているのは明らかなので、血統主義に基づかない血縁上の子孫ではない者に国籍確認を認めないのも、今のところ合理だと言わざるを得ない。


簡単にまとめれば、DNA鑑定を国籍確認時ではなく、認知の段階で義務付ければ(認知訴訟は民事だが、これも強制とする)、まだしも鑑定義務化の技術的必要を満たすことはできるだろう。
しかし、これでは死後認知や、父親の所在が捕捉できない場合には対応できない。
その場合はどうするのか。
死後認知で検体の入手が不可能であるならば免除するというのであれば、結局、死者を用いて偽装認知される可能性は潰せない(あくまで可能性の話である。手間隙を考えれば実現性はほとんどない。しかしそれでいうならば、改正国籍法でも同じことだ。この程度の可能性に右往左往しているのが反対派なのだ)。
結果、検体の入手の絶対性は担保されないことになる。


では日本国民全員をいずれかの段階で(たとえば小学校入学時など。既に小学校を卒業している場合は期限をもうけて期限内に)、強制的に採血してDNA鑑定を義務付ければいいのではないか。
検体入手の絶対性を考慮するならばこれ以外の方法はないように思う。
しかし遺伝情報のプライヴァシーは守られるのか、情報が生保会社などに渡って、「遺伝弱者」が不利益を被るようなことがないか、そうした問題も発生するように思う。
また、全国民を対象にするならば、費用も手間も莫大なものになる。仮に男性のみに限っても、それでも膨大なものだ。
それだけの費用をかけることが、果たして国益に適うことなのか、疑問に思う。