汝、聖母に非ず

何年か前か、確か熊本であった酷い事件で、電車中で女子高生が成人男性に暴行を受けた、ということがあった。
酷い事件ではあるが世に数限りなく類例があることを思えば、とうに忘却していてもよさそうなものだが、記憶の片隅にこびりついているのは、その女子高生が男との口論に際して、
「あなたも女から生まれたのでしょう」
と言ったという、その台詞が突き刺さっているからである。
男が散々、女性を侮蔑する言葉を吐いた上での反論という文脈がある以上、それを言った彼女には何ら責はなく責められるべきではない。
それでもなお、何かしらの抵抗を覚えるのは、私が産めない性に属するからである。
それを言われれば、産めない性である男は何を言えるのだろう。
ヒトは通常、というか確認された歴史においては例外なく有性生殖を行うから、女だけでは子は産めない。
問題は、彼女が言った台詞ではない。それが粗暴な男をも含む男全体に対する反論となるコンテキストである。そこには、ヒトが生まれてくるうえでは必ず必要な父親の存在が完全に無視されている。
私はフェミニズムと似て非なる「おんな」が嫌いであった。
ここで言う「おんな」とは、テレビで放送されるような通俗的な「おんなの歴史」とか、そういうものである。
いつの世も、虐げられて泣くのはおんな、みたいな橋田寿賀子のような史観である。
私は事実としておんなの中にも横柄な、暴力的な、共感能力に欠ける人がいるのを知っている。そうした人を「おんな」というだけで救済するつもりはまったくないのだ。
出産において、両性が必要だとしても、その労力が非対称的なのは確かである。
社会的な措置によってその非対称性を緩和は出来るにしても、取り除くことは出来ない。
その不可避さを抱えている以上、「弱者」からの反撃であるとしてもやはり、「女から生まれた」という一点を主張するのはやはり暴力的だといわざるを得ない。
口論という「売り言葉に買い言葉」なるコンテクストを離れてこの言葉が提示された時に、あるいは独り歩きした時に、産む性の産めない性に対する差別的な優越感情がやはりそこに生じるのだ。


こんなことを思い出したのは、以下の記事を読んだからだった。

交尾してないサメの妊娠を確認、バージニアの水族館

【10月16日 AFP】サメのメスがオスと交尾せずに妊娠していたことが確認され、科学誌「Journal of Fish Biology」の10月号で報告された。サメでこうした例が確認されたのは、今回で2回目となる。

 このサメは、米バージニア(Virginia)州の水族館で飼育されていたカマスガリザメの「ティドビット(Tidbit)」で、ティドビットは8年間飼育されていたが、その間オスと交尾をしたことは一度もなかった。

 論文の主執筆者、ニューヨーク州立大学ストニーブルック校(State University of New York at Stony Brook)海洋保全科学研究所のデミアン・チャップマン(Demian Chapman)博士は、サメの死後、胎内にいた子どものDNA検査を実施した結果、単為生殖だったことが確認されたと明らかにしている。単為生殖とは、卵子精子と受精せずに個体へと発育することをいう。

 近年、サメの単為生殖とみられるケースは10例以上報告されているが、実際に確認されたのは今回で2例目。1例目は、2007年5月に、ネブラスカ(Nebraska)州オマハ(Omaha)の水族館で飼われているシュモクザメで確認された。このサメは、3年間オスとの接触がなかったが出産した。

 交尾時の精子が子宮内に長期にわたり保存され、ある日突然妊娠したとする説もあるが、科学者らは今回の例は単為生殖の可能性が極めて高いとしている。

 一般的には、単為生殖は、クモやムカデなどの一部の昆虫や甲殻類でのみ発生すると考えられている。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2528760/3428915#

ヒトが単為生殖をする生き物であれば、この社会はいったいどのようになっただろう。
多くの人はあじけないと思うのだろうが、両性が優越感情をぶつけあうよりはむしろあじけない世界の方がずっとましなようにも感じる。
ところで引用記事の最後の一文は不適切である。爬虫類では比較的多数、単為生殖の例がある。
北米に生息するイボヨルトカゲなどは単為生殖のみで繁殖する。
その場合の単為生殖は子は親のクローンであり、マリアはマリアを産むのである。
そこではマリアはイエスを産まない。
その世界には男はいないからである。