Revolutionary

民主党の代表経験者の出身地のうち、北海道(鳩山由紀夫)、岩手(小沢一郎)、三重(岡田克也)は民主が独占しそうな勢いだ。東京(菅直人)、京都(前原誠司)はさすがに幾つかは取りこぼすだろうが、自民党の有力総裁候補の谷垣元財務相、小池元防衛相、石原伸晃国土交通相らをもロープ際に追い込んでいる。
既に政権交代が成るかどうかが焦点ではなく、自民党がどれほど議席を減らすか、どこまで踏みとどまるかが問われている。
仮に百議席を割り込むようなことがあれば、誰が生き延びているかさえ予想もつかない。
次世代のニューリーダーが軒並み落選するようなことがあれば、誰が自民党を率いることになるのか。
自民党は政権党であることが唯一のアイデンティティの党である。右から左まで、その広がりは民主党よりもまとまりがない。政権党としての求心力を失った後、党の再建を担う総裁に誰が就任するかは、自民党アイデンティティを規定する重要な要素になるだろう。


舛添要一厚生労働相には最近、失言があったが、私が彼を推さないのは第一に参議院議員だからである。
日本国憲法は、本来は内閣に解散権は与えられていない。起草者の意思が、内閣不信任が決議された時のみに、内閣が解散を行える、受動的な解散手続行使権限に留まっているのは明らかである。
にも関わらず、能動的な解散権が慣例的に内閣に与えられてきた。
能動的な解散権が内閣にないことを前提として、内閣総理大臣は国会議員であること、つまり参議院議員でも良いと定められているのであり、慣例上、能動的解散権が内閣を保持しているならば、議院内閣制の要請からして、首相は衆議院議員であることが望ましいのは当然である。
議院の中核は衆議院であり、議院内閣制にあっては首相は議院中核と一体であるべきである。
英国の例を見てみよう。
1963年、プロヒューモ事件が引き起こした混乱を受けて、ダグラス・ヒューム外相が首相として組閣したが、その時点ではダグラス・ヒュームは上院に議席を持つ伯爵だった。緊急避難的な措置とはいえ、議院の中核である下院に席を持たない首相の出現は議院内閣制の危機であった。そのため、ダグラス・ヒュームは爵位を返上し、上院の議席を抹消した後、改めて下院の補選に出馬して、下院議員となって正当性を確保したのである。
彼の先代のマクミラン首相と彼の間には栄爵において断絶があり、それ以前の首相は当人が望めば引退後は少なくとも伯爵に叙されて来たのだが、ダグラス・ヒューム以後は一代男爵に置き換えられている。
こうした例を見るに、舛添氏は首相職に意欲を持つのであれば、今回の衆院選に出馬すべきであった。それは国制の要請上求められているという以上に、党が最も厳しい状況に直面している時だからこそ、指導者は、嵐に立ち向かいその中から立ち上がるべきだからである。
この「逆風」の中から勝ち上がってくる衆議院議員に較べて、凄みと経験において見劣りがするのは避けられない。
舛添氏は王道を掴む機会をみすみす失った。