アメリカの国益考

ベストセラーになった「銃・病原菌・鉄」の中で、ジャレッド・ダイアモンドは、大航海時代以後のヨーロッパ世界の優位性の理由を中国と比較して、その政治的多様性に求めている。
その本を読む以前から、私もまた同じような考えを持っていて、あの本に書かれていたことはいちいち私の持論と一致していた。
世の中には同じ事を考えている人もいるのだなあと思った。
ヨーロッパの政治的多様性の原因としては、ダイアモンドは地形に理由を求めていて、地理的境界がそのまま文化的境界となり、政治的境界となることを考えれば妥当な推論だと思う。
中国でも分裂期はあったが、その時代に文化の飛躍が生じている。
政治的自由が希少なところでは、文明の発達は望めないのである。


大学の授業で、ある教授が「商法はもっとも世界性のある法律である」と言っていたのを覚えている。
商業やマネーが本質的に持っているグローバリズム性を言い表したものだ。
日本の国債が、内債であるからまだ安全だと言う意味は、それが円建てであるということ以上のものではない。要は、円建て債権なのだからいざとなれば円を刷れば確実に支払えるということだ(ただしハイパーインフレーションにはなるだろうが)。所有者が日本人であるかどうかは関係はない。
大多数の人は資産保全や金儲けのために日本国債を買うのであって、愛国心から買うわけではないからだ。
これはどこの国でも同じことだ。
マネーの前において、国籍は無意味なのだ。


“The business of America is business”
と言ったのは、クーリッジだったが、この言葉がそのまま事実であるとすれば、いろいろ腑に落ちることがある。
アメリカはナショナリズムが強いようでいて、実はナショナリズムの不在が問題なのではないだろうか。
つまり、資本にとって、政治的中心性は多様であればあるほど好都合であるわけである。
プロイセンが国家を持っている軍隊であったならば、アメリカは国家を持っている企業であるわけだが、ナショナリズムが欠落したアメリカであってさえ、アメリカの覇権、パックスアメリカーナアメリカ企業にとってはともかく、アメリカ資本にとっては危険なのだろうと思う。
オバマのような、「国民国家再生論者」という意味におけるナショナリストが出てくれば、アメリカ国内においてアメリカ資本が規制される危険が強まるからである。
つまりアメリカの国益がイコール、法組織としての合衆国の利益ではなく、ウォール街の利益であると考えれば、適度な多極的世界は、国家の資本に対する統御力を最小化する意味において、最合理の利益となるだろう。
そしてグローバルスタンダードに倣うということは、この局面にまた日本もまた立たされるということを意味している。
高度経済成長期以来の、財界の利益、労働者(消費者=市場)の利益、資本の利益、政府の利益が一致していた幸福な時代が終焉しつつあればこその、その世界に過剰適応したがゆえの日本の停滞である。
それに対抗する意味において、私はナショナリズムを支持しているのだ。