行く川の水は絶えずして

年末年始の報道特番で、やたら小泉進次郎氏を見かけた。親子だから当然と言えば当然だが、雰囲気や話し方が元首相に生き写しだ。受け答えもしっかりしていて、なかなかタフな印象を受けた。それがそのまま優れた政治家となる資質を保証するものではないけれど。
政治学者の菅原琢氏が光文新書で「世論の曲解」なる本を出している。ややもすると我田引水な印象論ばかり幅を利かせる政治分析において、しっかりと統計処理を施したデータを提示し、2005年の郵政解散以後の政治分析の誤謬を暴きだしている。
出している結論はごく当たり前のことなのだけれども、それさえも「見たいものしか見ない」政治談議に引きずられて、共通前提とはなっていなかった。今後はそこで提示されているような論は、前提としてそこから議論を始めるべきだろう。


小泉純一郎が首相に就任した直後、支持率は9割を越えて、首相就任演説では野党から喝采をあびたものだった。つまり、小泉自民党の基礎支持層は、野党支持者であったということである。2009年の政権交代は、本来の姿に戻っただけだとも言え、そこから自民党が盛り返すのは非常に難しいと思われる。
都市住民、無党派層、社団の外にいる人たち、増大化する一方のそうした人たちを敵に回して、勝てるはずが無い、ただそれだけの話である。
潮目が変わったのは2007年の参議院選挙に際して、郵政造反組の復党を安倍元首相が容認したことだった。安倍、福田、麻生のポスト小泉の首相たちの中で、やはり安倍のもたらした悪影響がもっとも甚だしい。
安倍は反小泉改革ではなかった。ただ関心がなかっただけである。しかし有権者の関心はそこにこそあった。
有権者の関心をないがしろにして、彼のお仲間しか興味の無い「美しい日本」路線に耽溺した。その過程で、お仲間の平沼赳夫氏らを復党させるために(結局、平沼氏復党はならなかったが)、郵政造反組の復党を許した。
2009年の惨敗はその時点で約束されてしまったと言ってもいい。
自民党を惨敗させたのは第一に安倍晋三、第二に野田聖子の責任である。


大雑把に言うならば小泉内閣有権者が期待したものは既得権益層の解体であった。
それについては、小泉はそれなりの成果を挙げた。
有権者が期待しなかったのは自分たちのセーフティネットの崩壊である。
つまり有権者が求めているのはセーフティネットを拡充しつつ、既得権益層を解体することであって、安倍晋三はその正反対をやった。
福田や麻生はセーフティネットについては留意はしたかも知れないが、動きが見えるにまでは至らず、ただ既得権益層への攻撃が鈍った、と見られた。
民主党政権はこの点を留意する必要がある。
セーフティネット既得権益の擁護が膠着のように不可分になることがあってはならないのである。
少なくとも2005年には小泉は圧倒的な勝利を収めたのであり、その支持がなんであったのかを誤解なく読み解かなければならない。


自民党復権するためには、たぶんもうひとつ山を越えなければならない。
自民党の集票マシーン、政財共同体のエスタブリッシュメントが徹底的に瓦解した後に(つまりその過程で自民党は一度、更に崩壊を経験しなければならない)、国民政党として再生する余地が生まれる。
山口県や石川県の政治家が中枢にいるようでは、先は無い。