タバコ文化の規制について

私の父は、当時としては妙に過保護なところがあって、特に「健康」については過剰なところがあった。
子の自主性を尊重したい、厳しい父でありたい、それでいて過剰に子を保護したいという時に対立する心理的葛藤において、多くの父親がそうであるように私の父の行動も時に喜劇的な様相を呈したのだが、それについてはとりあえず今日の主題ではない。
父は若い頃はヘビースモーカーだった。母と結婚してからもおかまいなく吸っていたらしいが、母の妊娠を知ったまさしくその瞬間から、喫煙を止めた。多くの元喫煙者がそうであるように、その後は喫煙者と喫煙行為を激しく嫌悪するようになった。
今としては珍しくは無いが、父の嫌煙主義の徹底は、当時としてはエキセントリックで、母方の祖父はヘビースモーカーだったが、「孫と会いたいなら孫の前でタバコを吸うな」と私の父にはっきりと宣告された。父は、祖父に対しては非常に敬う姿勢を基本的には持っていたので、これは異例のことであり、それだけ父の、自分の子に対する健康志向が甚だしかったということである。
父のために弁護しておくならば、彼の長男、つまり私の兄を当時の医学的な限界から夭折させていて、それが残された子に対する過保護となって生じたのだろうと推測することは出来る。
どこから聞いたのか、「コカコーラが骨を溶かす」と聞けば、それを飲むのを子に禁じた。それでいて三ツ矢サイダーは許容したのだから、まさしく喜劇的だった。しかし、小学校も高学年を過ぎれば子も自分で好き勝手にやったので、戦後派らしい「子の自主性を尊重する父でありたい」という欲求と、「子を保護したい」という欲求の間で、父は葛藤に苛まれることになるのだが、それはまた別の話である。
ともかく父のそうした方針もあって、祖父は小さな温室を作り、孫が家に来た時はそこでのみ、タバコを吸っていた。孫たちは温室へは立ち入り禁止だった。
私は祖父とはわりあい気が合ったので、祖父が一番くつろいでいるその場所へ入れないことを残念に思った。
祖父とは、紫煙をくゆらせるものであって、一般的なイメージがそういうものだった。
だから私は父の態度を過剰反応としか見ていなかった。
今日、煙草の害が明らかになるにつれ、紫煙をくゆらせる者としての祖父、というパブリックイメージにも修正が図られる必要があるのだろう。
「孫を思いやる」のであれば「孫の前で煙草を吸う」ことはあり得ない。子を愛する母が意図的に子に砒素を飲ませないのと同じことである。
慈愛深い祖父と、孫の前での喫煙行為が疑いも無く結ばれることが、孫の側に「祖父を採るか」「健康被害を許容するか」の択一を迫ることになる。それはやはり適当ではない。
過去における喫煙の描写については歴史的なものとして許容されるべきだと思うが、これからなされる児童向け書籍における描写では、喫煙についてセンシティヴであってしかるべきだと思う。