托卵考

カッコウの托卵は、寄生相手の卵・ヒナを殺してしまうので、カッコウ自身にとっても絶滅の危険を伴う。AIDSウィルスの場合、寄生相手もろとも自身も消滅してしまうので、結果的に、共生志向のものが代を重ねるにつれ残ってゆくことになる。
しかしカッコウの場合は、エゴイスティックに振舞うほどその個体が生き延びる確率は高くなるので、利己的な遺伝子の結果、種や亜種が絶滅してしまう可能性が高い。
托卵は私見ではおそらく当初は巣を借りる行動から始まったのではないかと思う。他種の巣を乗っ取り、卵を産み落としたところで奪い返されて巣を放棄した、それが結果的により多くの卵を産み、より多くのヒナが育つことにつながったゆえに遺伝として固定されたのだろう。
最初は寄生相手の防衛能力も低く、托卵行動は爆発的に成功したと考えられるが、寄生相手が防衛能力を強めるにつれ、托卵は巧妙化せざるを得なくなった。
寄生相手の卵に似せた卵を産むということは、寄生相手に全面的に種の存続において依存するということである。しかしカッコウの托卵は完全に共生性に欠けているため、自身の繁殖が成功すればするほど、寄生相手の絶滅可能性を高め、結果、自身の絶滅を招くことになる。
つまり寄生相手の防衛能力の強化によって、カッコウは自身の繁殖を可能にしていると言えるが、カッコウに共生性がまったくないため、この軍拡は際限なく繰り返されいずれどちらかの一方的勝利に至る。カッコウの場合は一方的敗北が絶滅であると同様に、寄生相手に全面的な依存があるために一方的勝利もまた絶滅を引き起こす。
カッコウの托卵の謎のひとつは、どうしてカッコウが絶滅していないのかということだ。単に、絶滅へ至る過程の中にあるだけなのかも知れない。
より巧妙に寄生相手の卵に似せるよう進化してきたということは、寄生相手ごとに種レベルの変化が生じたと言うことである。つまり、ヒバリに似せた卵を産むグループとヨシキリに似せた卵を産むグループとでは交雑してはならないということだ。
亜種レベルでさえ交雑不可能にならなければ、徹底的に寄生相手に似せた卵を産むことは不可能なのだから、寄生相手ごとにカッコウは種レベルで違いがあるということになる。
しかし現実にはそうはなっていない。
これはつまり、どのような形状の卵を産むかという遺伝情報は父系か母系か、どちらかだけの遺伝情報で決定されているということだ。
交配を通して遺伝子が混ざり合わないわけである。仮に母系によって決定されるとすれば、カッコウのオスは同一種であるが、カッコウのメスは卵の形状に関しては複数の系統に分岐して互いに交わらないようになっていて、この系統ごとについては、おそらく完全勝利か完全敗北のいずれかによって、種そのものよりは頻繁に絶滅していると思われる。
種全体としてのカッコウは健在なのでその絶滅が見えにくいだけかも知れない。
また、寄生相手ごとの系統遺伝子は、交配によって混ざらないので、変異が生じにくく、通常の有性生殖と比較して淘汰に対して不利である。
托卵という行為が死のダンスであることには違いはない。
種レベルでいうならば、托卵のために、カッコウは絶滅へと至る隘路にはまり込んでいるというしかなく、それでもごく初期段階に爆発的な成功があるならば、その先が断崖絶壁だとしても進化はそちらの方向へ進んでしまう。
カッコウはおそらく1万年を越えて生き残る種ではない。