脆弱なミツバチ

ミツバチが農業生産に欠かせない経済昆虫であることは周知の事実だが、繁殖の間隔が一年毎と昆虫としては比較的長い(世代交代が遅い)のでウィルスの変異に対して、脆弱である。
しかしそれよりも遺伝的に脆弱な理由としては、半倍数性の昆虫であるということが作用している。
通常、動物の多くは倍数性であり、たとえば私たちヒトは父親と母親の双方から遺伝子を受け継いでいる。そのどちらかからしか遺伝子を引き継がないことを単倍数性(一倍数性)と言い、ミツバチの場合は、メスは倍数性であるのに、オスは単倍数性であるので、全体としては半倍数性の昆虫だということになる。
単倍数性は遺伝的に半分のクローンであるので、世代間の遺伝的変異が突然変異によってしか生じず、遺伝的に脆弱である。
ミツバチは半倍数性なので、単倍数性よりは変異に対応できるが、倍数性よりはやはり脆弱である。
ヒトとミツバチの遺伝的な世代交代を以下に示す。
~で結ばれているのは婚姻関係で、♂~♀、で示してある。

<ヒト>
第1世代 a~a' b~b' c~c' d~d' e~e' f~f' g~g' h~h'
第2世代 (0.5a+0.5a')~(0.5b+0.5b') (0.5c+0.5c')~(0.5d+0.5d') (0.5e+0.5e')~(0.5f+0.5f') (0.5g+0.5g')~(0.5h+0.5h')
第3世代 (0.25a+0.25a'+0.25b+0.25b')~(0.25c+0.25c'+0.25d+0.25d') (0.25e+0.25e'+0.25f+0.25f')~(0.25g+0.25g'+0.25h+0.25h')
第4世代 (0.125a+0.125a'+0.125b+0.125b'+0.125c+0.125c'+0.125d+0.125d')~(0.125e+0.125e'+0.125f+0.125f'+0.125g+0.125g'+0.125h+0.125h')
第5世代 (0.0625a+0.0625a'+0.0625b+0.0625b'+0.0625c+0.0625c'+0.0625d+0.0625d'+0.0625e+0.0625e'+0.0625f+0.0625f'+0.0625g+0.0625g'+0.0625h+0.0625h')<ミツバチ>
第1世代 a~a' b~b' c~c' d~d' e~e' f~f' g~g' h~h'
第2世代 a'~(0.5b+0.5b') c'~(0.5d+0.5d') e'~(0.5f+0.5f') g'~(0.5h+0.5h')
第3世代 (0.5b+0.5b')~(0.5c'+0.25d+0.25d') (0.5f+0.5f')~(0.5g'+0.25h+0.25h')
第4世代 (0.5c'+0.25d+0.25d')~(0.25f+0.25f'+0.25g'+0.125h+0.125h')
第5世代 オス (0.25f+0.25f'+0.25g'+0.125h+0.125h')
     メス (0.25c'+0.125d+0.125d'+0.125f+0.125f'+0.125g'+0.0625h+0.0625h') 

世代を5世代重ねて、遺伝子がどのように残ってゆくかを示している。
5世代を経過して、ミツバチの方が遥かに遺伝的多様性に乏しいことが分かる。基本的に半倍数性による生殖は生存のために不利であろう。
ハミルトンの仮説では、半倍数性という性質が生存のために不利であるにも関わらず、「働きバチが自身の子孫を残さずに、弟妹(特に妹)の繁殖を手助けをする」、つまり社会性がこの性質によって担保されていることを提示している。
通常の倍数性の動物では、兄弟姉妹間の遺伝的近縁は確率的に半分である。兄弟姉妹の遺伝的距離は、自分の子と同じだということだ。次世代に目を移せば、自分の子は遺伝的距離が50%であるのに対して、甥姪は25%になる。従って、甥姪よりは自分の子の方が近縁度は高い。
ミツバチの場合は、働きバチから見て、妹である新女王は75%の遺伝子が自分と一致している。母子よりも近縁度が高いのである。これはつまり、父親であるオスバチ単倍数性であるために、父親由来の遺伝子は姉妹間で完全に同じものだからである。
一方、働きバチから見て弟にあたるオスバチは、母親の遺伝子しか受け継いでいないので、確率的に近縁度は25%でしかない。オスバチはしばしば巣内で働きバチから邪険に扱われるが、これはおそらくそのせいである。
女王バチから見て、娘(新女王)を通して得た孫(第3世代の女王とする)は近縁度が25%でしかないのに対して、息子(オスバチ)を通して得た孫(同じく第3世代の女王)は近縁度が50%である。従って、女王バチはオスバチを多く作りたがり、働きバチは新女王を多く作らせたがる競争関係にある。
仮に働きバチが自身でも繁殖するとすれば、生まれる子は近縁度が50%になる。対して姉妹との近縁度は75%なのだから、働きバチにとって、子よりも姉妹の方が遺伝的に貴重なのである。
ヒトの場合は、兄弟姉妹と自分の子との近縁度は等距離であるのだから、子の繁殖を手伝うのと兄弟姉妹の繁殖を手伝うのは遺伝的に同じ意味である。しかし、これは同時に、兄弟姉妹と自分の子の、自分にとっての遺伝的優位性が両者の比較では決着がつかないということを意味し、遺伝的には意味を持たないということでもある。
従って、次世代同士の比較、子と甥姪における近縁度で決着が計られているものと考えられる。
社会性昆虫の場合は、自分の子よりも姉妹の方が確実に「可愛い」はずだ。
おそらくこれが半倍数性が生存上不利であるにもかかわらず、社会性昆虫に見られる理由だろうと思われる。その社会性によって、私たちはミツバチから利益を引き出しているのだが、その社会性の担保となっている半倍数性によってミツバチは脆弱な昆虫となっている。