中国と英国の「ケシ」摩擦

英国、中国のイチャモン受け付けず ケシの花めぐる“歴史摩擦” - MSN産経ニュース
僕としては、これについてはどこからどう見ても、キャメロンを弁護する余地はないと思う。
兵士たちを追悼するのは指導者としては当然の責務だとしても、基本的には他国には関係がない話である。訪中という外交の場面で、そもそも第一次大戦の兵士を追悼するシンボルであるポピーの意匠を身に着けることは英国という国家の「私事」であって、相手がいる場面でやるべき話ではない。
もちろんこれがまったく中立的なものであるならば、わざわざ目くじらをたてる人もいないだろうが、それを中立的とみなすこと自体すでに自己に無批判な独善性の現れであるともいえる。例えばドイツの首相が、ナチス党員を含む大戦の「犠牲者」を追悼するシンボルを身に着けて外交場面に出席したならば、過去においてドイツと交戦関係にあった当事者でなくても、相手側にはそれを受け入れるかどうかという難しい政治判断が迫られることになる。
そうした困難な政治判断が英国の過去の戦争については「無い」と無邪気に信じているところがキャメロンの「ルールブリタニア脳」というか、保守的英国人のマスターベーション志向の現れであって、プロムで「威風堂々」を合唱して陶酔する英国の草の根の愛国主義、その批判を英国人が避けてきた結果であると思う。
http://www.guardian.co.uk/politics/blog/2010/nov/10/david-cameron-poppy-china-michael-white
ガーディアンのこのコラムは、この件に関する英国人の反応としては比較的穏やかなものではあるけれど(リベラルのガーディアンらしく)、それでも中国の台頭という状況を目にして、「起こす必要のなかった衝突」と論じていることからもわかるように、プラグマティズム的な視点でのみ論じられている(もちろんアヘン戦争の経緯説明はしているが)。
それでさえ、ないよりはあった方がいいには違いないが、問題は帝国主義の総括を英国が国家として果たしていないということにある。こう言ってはなんだが、リベラルでさえこの程度なのだ。
英国政府のスタッフの中に、「これはまずいんじゃないの?」と思う者がいなかったということが、「余りにも無邪気な英国」の姿を提示しており、中国の台頭がどうであれ、この先このままでは英国外交もたちゆかなくなるだろう。


まして、外交の場面で相手側から外すよう要請されて、不当なことでも言われたかのように拗ねてはねつけること自体、アヘン戦争の反省と総括がなされていないということを意味している。
歴史の負の遺産をあくまで外交的な負債として見た場合、実は英国やアメリカ合衆国は国家存亡にかかわるような大きな戦争では負けたことがないということによって、かえって不利な立場にいる。謝罪も賠償も総括も、都度都度で果たして来なかったからだ。ドイツや日本についてはすでに法的には決着済みであり、むろん批判の余地は十分にあるにせよ、法的に決着している案件と、法的な対応すらなされていない案件を比較した場合、後者の方が批判余地が大きいのは当然であろう。
英米の非をならすことで、日本を含む他国が免責されるということは決してないが、英国は大帝国であっただけに、その非道の件数や程度も抜きん出ている。しかも多くは手つかずのままであり、しかも、負の遺産から現在も実際に利益を引き出しているという事情もある(タスマニア人を絶滅させた結果、タスマニアには英国人の子孫が英語を話して現在も生活している)。
こうした事柄について、「なるべく避けて通る」のが正義の話としては問題だとしても外交的には少なくとも短期・中期的には英国にとっては妥当だろう。国内向けのパフォーマンスを外交場面でも継続させるような単純な「ルールブリタニア脳」ではその避けて通ることさえおぼつかなくなる。
キャメロンが外交家として阿呆なのは、自らが持っている、あるいは課せられているカードさえ正確に把握していない点にあり、保守党政治家の限界と言えばそうであろう。愛国主義事実認識さえ曇らせる一例である。