兄弟姉妹考

古人曰く、兄弟は他人の始まり、世には睦みあう兄弟姉妹もいれば、憎悪しあう兄弟姉妹もいる。その違いの原因はどこにあるのかを考えている。


ある人から見て、親、兄弟姉妹*1、そして子の遺伝的な距離は等しい。エラー的に発生する突然変異を無視すれば、その人と共通する遺伝子はいずれも2分の1になる。従って、兄弟姉妹の繁殖を助けることと、子の繁殖を助けることは、利己的な遺伝子的に見て、等価である。これはすなわち、その繁殖の結果、生じる個体である甥・姪と孫が等価だということを意味する。
ただしもちろん違う部分もあって、その違いが、親子関係では一般にみられる親から子への奉仕関係が、兄弟姉妹間では少なくとも「当たり前」には見られないのかの理由だろう。その違いとは世代である。
甥・姪と孫の間には一世代の違いがあって、このわずか一世代の差、つまり孫の方がより遠い世代へ自分の遺伝子を伝えられるという事実が、甥・姪よりも孫を、兄弟姉妹よりも子を(つまり兄弟姉妹の繁殖を助けるのではなく自分が繁殖することを)優先するという一般的な傾向につながっていると考えられる。
親から子への投資には限界があるので、このリソースを巡って、兄弟姉妹は競合関係にある。それでいて兄弟姉妹はただの競合相手ではなく、互いに互いの子と同様に遺伝的に貴重な存在でもある。
兄弟姉妹は競合者であると同時に、遺伝的拡散に関して協力者でもあり、兄弟仲の良し悪しはこのふたつの矛盾する性質のうちどちらが強調されるかで決定されると考えられる。


親が子に残してやれる最上のものは「仲がいい兄弟姉妹」である。夫婦でさえ離婚してしまえば他人だが、兄弟姉妹は生涯にわたって血縁であり続けるのだ。その貴重さは年齢を重ねるにつれ、意識されてゆくだろう。もっともこれは「仲がいい兄弟姉妹」の場合であって、憎みあっている兄弟姉妹の場合は、離れ難いだけにより悪質な存在になってしまう。
兄弟姉妹の仲が悪くあれと願う親は滅多にいないだろうが、そうなってしまう原因を作るのはほとんどの場合、親である。
兄弟姉妹にはもともと競合者としての性質があるのだから、兄弟姉妹を競合させていいことなどなにもない。自然界では、兄弟殺しなど普通にみられるのだ。いかに競合者としての性質を弱め、協力者としての性質を強調するか、それを親がどうサポートするかが「仲がいい兄弟姉妹」を作る秘訣であろう。
異性の兄弟姉妹、つまり兄妹や姉弟は、同性の兄弟姉妹よりは親密になりやすい傾向があるのは、性が違うため重視する分野がおのずと異なるからである。棲み分けができやすいということである。子当人たちにとっても、多少の区別があったとしても相手は女なのだから、男なのだからと合理化をしやすい。
同様にある程度(5歳くらいか)、年齢が離れた兄弟姉妹もまた直接の競合関係になる局面が少ないために、かえって保護意識・被保護意識が働き親密な関係を築きやすい。
一番、競合意識が出やすい、たとえば年子の男の兄弟のような場合は、いかに競合意識を抑え、相手が相手の存在を合理化できようサポートするかが重要になってくる。
兄弟の関係の中で、勝った負けたでどちらかを称賛し、どちらかをけなすような行為は、競合関係を強調するばかりで害悪である。競合は子供の社会の中にさえいくらでもあり、その中で兄弟が手を携えて生きることを望むのであれば兄弟をただの競合者に落とし込んではならないのである。
リソースの分配を公平にすること、一方で兄には兄としての社会的な面子があるのだから、これを維持できるようサポートすることが重要である。兄の保護意識と、弟の兄への敬意を育むことが安定的な兄弟関係を構築することにつながる。

*1:両親が共通している兄弟姉妹。以下、特に断りがなければ同じ意味。