今思い出す、イラク人質事件の自己責任論

もう10年近く前になるのか。イラク戦争直後の、治安が回復していないイラクに入国した民間人3名(学生、ボランティア活動家、フリージャーナリスト)がイラク武装勢力に拘束され人質とされた。日本政府の交渉によって、その後、これら人質は解放されたが、当時、外務省がイラク全土においてレベル4の退避勧告を出していたこともあって、人質たちの無謀さに対して非難する声が強まった。
当時、私は、これら人質に批判的な人から、日本政府が要した経費の損害請求を人質に求めることは出来ないのかと聞かれて、刑事事件なので無理、と答えたら、その人はようやくこの事件が刑事事件なのだと気付いたのであった。
無謀さと言う点において、私は今でも人質たちの行為には批判的であるし、行くなら行くで覚悟が必要な状況だったと思う。また、特に外国領土において日本政府が出来ることは限られているし、政府に救出義務はあるものの、それによって日本の外交政策が左右されてはならないし、民意を受けて成立している政府の外交政策がこうした事件の発生によって、少数の意思によって捻じ曲げられることがあってはならないと思う。
また、日本政府の退避勧告はあくまで勧告レベルであって強制性はないが、他の先進国で、例えばアメリカ合衆国で大統領命令によって特定の地域に侵入したり、特定の勢力に迎合・協力することを刑事責任を伴わせて禁止しているように、日本でもそうした措置があってもいいとは思う。
しかし政府に国民を保護し救出する義務があること自体は自明のことであるし、脅迫によって政策に影響が及ぼされない限り、事件・事故の被害者・犠牲者を救出するのは当たり前の話である。
イラクの人質事件を巡る自己責任論では、批判すべき点と批判してはならない点がきちんと峻別されておらず(擁護側、批判側、双方ともに)、政府の外交政策の是非がこうした事件によって左右されることの是非を非常に軽く考えたり、逆に、被害者たちの人格攻撃にまで及んでいたり、そうした行き過ぎた態度が見られたのは非常に残念なことだった。
最近、この事件のことを思いだしたのは、ニュースキャスターの辛坊治郎氏が他一名と共に小型船舶で航海中に遭難し、海上自衛隊によって救出された件について、ここぞとばかりに辛坊氏を叩く、嘲笑する、テレビの企画であるとかどうでもいい背景事情について興味本位で暴き立てる、そういうことを左翼と呼ばれる立場の人も含めてやっているのが目についたからである。
ヨットで太平洋を航海しようとする、その試み自体は、イラク人質事件と比較して志においてより崇高ということはないが、前例もたくさんあることだし、ことさら原因と結果が直接結びつくほどの危険性があるとは思えない。夜中にひとりで人気のない道を歩いていてレイプされた女性を叩くのと、辛坊氏を叩く行為との間にどれだけの距離があるのか、理解しがたい。
事故が発生したから政府の公的機関が救出した、たったそれだけのことだ。ヨットマン的な文脈では辛坊氏は批判されるのかも知れないが、そんなことは仲間内でやればいいことである。
辛坊氏は保守的な立場のコメンテーターではあるが、そんなことゆえに彼を批判しているのだとしたら、そういうことをしている左翼的な立場の人には恥を知って欲しいものだ。