女王エリザベス2世のスピーチ

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 チャーチルの演説になぞらえる向きもあるが。

 彼女が言えるのは抽象的な話だけだとしても、余りにも精神論に偏っていて、いささかマスターベーションのきらいがある。

 彼女の言う英国的なるものが事態を悪化させたとは思わないのだろうか。

 王室を含む現在の英国政府とウィンストン・チャーチルが決定的に異なる点は、チャーチルは早い段階から、執拗かつ的確に、そのために国内から「戦争屋」と批判され侮辱され、孤立したとしても、炭鉱のカナリアの役目をまっとうしたという実績がある点である。だからこそ彼の言葉は強く、国民を奮い立たせる。

 もちろん評論家、エッセイストとして頭角を現してそれによってある程度の資産を築き、政治的な意図があったとはいえ、ノーベル文学賞を受賞した作家である。それ相応のレトリックの技術を持っている。それこそ文章書きのお手本になるような。

 だがそのレトリックだけで、チャーチルは政治家としてのインフルエンスを得たわけではない。彼が被った迫害の数年間、ネヴィル・チェンバレンらとの対比によって、説得力を得たのだ。上っ面の言葉だけで動かしたわけではない。

 そもそも Covid-19 は東アジアで発生し、英国が本格的にパンデミックに巻き込まれるまでは、3ヶ月から4ヶ月の猶予があった。その間、英国から聞こえてきた声は、弛緩しきった皮肉屋の意地悪なからかいだけであった。

 マスクについても公衆衛生レヴェルでの疫病の蔓延拡大は飛沫感染を防ぐ効果は否定できないと言う点において、少なくとも全否定されるべきものではなかったが、英国人はおおむね皮肉げにそれを見ていた。

 WHOが日本が(日本政府が、ではなく日本が、であるが)死者数を低く抑え込んでいる点について称賛した時、それを取り上げた英国のTVニュースで「日本政府はいくらWHOに支払ったんだろう」と言うスピーチプレイを行って、それで深く検討すると言うことも無く、精神的優位を構築しただけで終わってしまった。

 こうしたスピーチプレイで話を逸らし、精神的優位を築くやり方は、今回だけの件ではなく、英国のメディア、国民性にはびこっている精神的病理と言うべきものである。その結果、発生から数ヶ月の猶予を与えられておきながら、膨大な数の死者を積み上げている英国の現状である。彼らは単に Covid-19 のせいで死んでいるのではなく、英国人のそうしたメンタリティによって死んでいるのである。

 エリザベス2世女王の、今回のスピーチは実態を伴わず、精神論だけを鼓舞しているう点では、むしろそうした「盲目の皮肉屋」から派生したものであるし、それに呼応する層は危機を乗り越えるための助力になるのではなく、むしろ危機の原因を招く層であろう。彼女自身、極めて英国的と言う点において「盲目の皮肉屋」性からフリーではないことはこれまでの発言の数々の例証がある。

 何かしらの危機的状況に対して三年寝太郎的な馬鹿力を発揮するのは、地方ヤンキー的なマインドであり、簡単とは言わないが刹那的な瞬発力があればいいのだから、それほど難しくはない。

 難しいのは日常において、健全な批判精神で自らを含めて全体をソートし、なすべきことをきちんと積み上げてゆくことである。

 英国はそのことが出来ていない。