王の退位

英国王のスピーチでは、エドワード8世とシンプソン夫人は仇役として描かれているが、立憲君主制の拘束の中で生きたという点では、エドワード8世もジョージ6世も同じだ。
エドワード8世がウォリス・シンプソンとの結婚したい旨を政府に伝えた時、ボールドウィン首相はウォリスの離婚歴を理由として結婚に反対した。そして三案を王に提示した。
「結婚をあきらめる。政府の意向に反して結婚する。退位する」
明文的には政府には王の婚姻を承認しない権限はないのである。だから、エドワード8世は、在位のまま、ウォリスと結婚を強行することは法律的には可能だった。ウィンストン・チャーチルは、婚姻は王家の私事であるとして、「ユー、結婚、強行しちゃいなよ」とエドワード8世を焚き付けていた。ひとえに、事態が「王冠か恋か」の二者択一に至ったのは、エドワード8世が立憲君主として、政府の意向を無視しないという自己抑制を持っていたからである。エドワード8世のこの一連の行動をして、英国立憲君主制の危機と評する意見もあるが、エドワード8世が立憲君主制を尊重したからこそ問題が問題化したのだという点は理解しておく必要がある。
そして退位についても、そもそも政府には退位を強要する権限はないし、王には退位を自発的に行う権限はないのである。王位継承は基本的には権利ではなく義務である。そしてある血統の人物を君主として戴くのは、英国政府・議会にとっても義務である。義務であるのだから、本来、退位という事象は英国立憲政治下においては原理的にあり得ないのだ。
このあり得ないことをボールドウィンは選択肢として提示したことになる。つまり、国王権限のひとつとして、退位の意向を示すことに、政府としては反対しないことを示した、ということに法律的にはなる。強要や命令ではなく、助言である。
それを受けて、エドワード8世は、王位を放棄したい意向(「退位」という表現ではない点が重要である)を提示した。その意向に、政府/議会が同意したうえで、この件のみに関する退位法を作成し、王の勅裁を経た上で、退位と言う道筋が可能になったのである。
つまりここでは非常に錯綜した法源手続が行われたことになる。
簡単に言えば、エドワード8世の退位を最終的に承認した法源者は一体誰なのかという問題である。王と議会は互いを牽制しあっていて、その牽制によって練りだされてきた歴史的な法秩序が実際には英国政治の法源にあたる。この歴史的法源は王と議会、双方を拘束するが、純粋に歴史的法源を尊重するのであれば、王と議会の意向が一致したとしても、この法源性そのものをいじることは出来ない。これがつまり「英国王は退位出来ない」ということである。
それを現実的に退位可能にするために、歴史的法源の更に根源の法源は何かという点について、王と議会が共犯になってそれぞれに責任を押し付けたというのが、エドワード8世の退位という憲法的な事件だった。
つまり議会/政府は王の退位について、もちろん議会の賛同があってのうえであるが、国王の超法規的な、究極法源的な大権であると見なしたわけである。その立場に立てば、エドワード8世の退位の承認者は国王であるエドワード8世自身である。正確に言えば、個人であるエドワード・ウィンザーの意向を機関である国王が裁可したという形式になる。だからこそ法案の最終的な勅裁が重要になったのだった。
一方、エドワード8世は、むろん退位したいという自らの意向があるにせよ、議会が法律として提示したものについて立憲君主として自動的に裁可しないわけにはいかない。その場合、究極の法源を議会に見出しているわけであって、だからこそ自らの意向だけではなく、法律と言う形での退位手続きの正当化が不可欠だったのだ。
そしてその結果、法律に基づいて王の裁可の下、エドワード8世の「退位」が可能になったのだが、ウォリスとの結婚の意向を示して以後、エドワード8世在位下にあってはかなり根源的な立憲君主制憲法的問題が突き付けられたと言えよう。その意味では、彼の王の言動を「憲法危機」として捉えることは間違いではないが、例えばエドワード8世が個人性を完全に棄却して、政府の意向に無条件に全面的に従うか、もしくは王の婚姻が逆に完全なる国王大権に属すると主張し、政府の意向を無視していれば、この「憲法危機」は発生しなかったはずなので、婚姻というある意味ごくプライベートな事柄について憲法危機が発生したということ自体、エドワード8世が立憲君主であろうと限界まで努力したことを意味している。
性格的にも肉体的にも明らかに国王の地位に向いていなかったジョージ6世が、その地位を引き受けざるを得なかったことから命を縮めたことが立憲君主制的な悲劇であるならば、その原因を作ったエドワード8世の退位もまた、立憲君主制的な悲劇であった。
私個人は別にエドワード8世になんら同情をよせるものではないが、少なくともその点は、歴史を見る時には、踏まえておく必要があるだろうと思う。