フジテレビ“韓流推し”問題考

私は、フジテレビの韓流推しは実態としてあった、と思っているので、韓流推しが問題と思う人たちからフジテレビが批判される当たり前だと思っている。が、この問題はいろいろな争点や、「争点ずらし」が双方にあって、カオス化していて、今一つ絡みづらい。この問題に限らない原則的なことからそもそも話を進めていかなければならないからだ。だが、論点をひとつずつ解きほぐして、それぞれについて考察してみたい。


[嫌なら見るな、はそもそも成り立たない幼稚な言説]
これはこの問題に限ったことではないが、「嫌なら見るな」は批評行為を根底から全否定する発想だと言うことを理解していない人が多い。人間のありとあらゆる言動・活動で批評の対象にならないものはないのだから(それが言論の自由であり、表現の自由である)、「嫌なら見るな」は少なくとも民主的な社会においては前提からして成り立たない発想である。そもそも何かしら問題視される言動について「嫌なら見るな」が成り立つならば、そのアンチを批判する人たちこそアンチを見なければいいのであって、「嫌なら見るな」と言うこと自体、矛盾をはらんだ、自分を裏切っている発想だということが理解できていない。「嫌なら見るな」ということを自分で出来ていないから誰かしらを「嫌なら見るな」と批判できているのだ。こんなことさえ理解できていないのは、要は何も考えていないからで、そういうことを口走ってしまう人は成人として社会人としてちょっとどうかと思う。


[韓国ドラマと韓流推しは重なるけれど同じではない]
地上波まだしもBSフジに至っては、完全にコンテンツを韓国頼みになっているのは一目瞭然なので、韓国ドラマにフジや他のテレビ局が頼っていないとは状況的には言えない。この状況を経済合理性から説明しようとする人は多いが、仮に経済合理性があったとしても、批判されるべき点が多々あることは以前述べたとおりだ。
ただ、これが単にコンテンツとして韓国ドラマが席巻しているというだけならば、ここまでの問題にはならなかっただろう。話を韓国ドラマに限定して、じゃあ、欧米のコンテンツに何も言わないのはどうなの?と言いたがる人が多いが、こちらの記事が提示するようなステルスマーケティング、全体としての「韓国推し」が問題なのである。日韓の間に限らず、これはどこの国でもそうなのだが、特にあれだけ民族主義の傾向が強い韓国で、批判に値する行為や事件がないということはあり得ない。報道として、そういう部分がきちんとカバーされていればいいのだが、一方でそれについて手落ちがあるので、それが韓流推しの結果ではないのかという疑念、というよりも状況的にはほぼ確実なのだが、それが問題だと言われているのだ。
こうした現象がすべて韓国ドラマのコンテンツの経済合理性から説明できるとは思えない。
韓国政府からのカネが直接・間接に関与しているならばそれはそれで問題だが、更に質の悪いカネが絡んでいる可能性がある。フジテレビがフジサンケイグループの筆頭であり、フジサンケイグループがそもそも世論の左傾化を食い止めるために戦略的に創設されたことを考えれば、伝統的に日本の右翼勢力と結託している韓国の資金力がある反共勢力が浮かび上がってくる。


[韓国はダメで欧米ならいいのか]
もちろん、欧米諸国が相手でもステルスマーケティング的な、世論誘導、洗脳的な手法が報道や情報番組までを侵食しているならばダメである。こちらのブログでは、

ところで、「韓流ごり押し」と抗議する方は、なぜ同じフジテレビで20年間も放送していた「ゴールデン洋画劇場」には抗議しなかったんでしょうか?

と疑問を呈しているが、映画放送の枠で韓国の映画が放送されているだけならばそもそも何の問題にもならなかったはずだ。そうした枠内ではとどまらない問題が韓流推しには見られるから問題視されているのだ。
また、韓国は現在、日本の領土を不法に占領している国であって、そうした文脈を踏まえれば「特に韓国が問題である」とする見方に合理がないとは言えない。日韓の間にある多くの特殊な問題は、他国の多くとの間では見られないもので、欧米諸国と同列に論じること自体がナンセンスである。
これも原則的に、文化コンテンツと報道が、これはこれ、それはそれと区別されていたならば避けられていた事態であって、それが出来ていないことが騒動の主因である。