過去の清算について

フランスのオランド大統領がアルジェリアを訪問して、過去の植民地支配について謝罪するしないで揉めていたようだが、朝日新聞ではあたかも謝罪したような内容の記事だったし、毎日では逆に謝罪しませんという内容の記事だった。実際には、過去にはいろいろあって非人道的なこともあって誠に遺憾、的な謝罪と言えば謝罪だし、謝罪でないと言えば謝罪でない内容だった。
フランスのアルジェリア支配は単なる植民地支配というのではなく、何百万と言うフランス人が少なくとも5世代以上にわたって入植した、フランス国家という範囲の問題でもあるのだけれども、それだけにアルジェリアが独立する際にはもめにもめて、非常に残虐な事件も頻発したし、拷問も圧政も行われた。フランスはアルジェリアを巡って事実上の内戦状態にも陥った。ド・ゴールがカリスマと強権発動と冷徹なリアリズムを徹底して用いなければ、事態収拾はもっと紛糾しただろう。
今回の件は謝罪するかどうかの話であったが、過去の清算の話をするならば補償の話は避けては通れないわけで、そこまで踏み込んだら、かつて植民帝国を築いたり奴隷貿易に従事した西欧列強諸国の場合はいったいどうなるんだろうと他人事ながらカオス化を心配せずにはいられない。
フランスの国家利益を言うならばなるべくほうっかむりをしたいところだろうが、僕があの国が異常だとか阿呆だなと思うのは、ならば他国の人権問題、現在のことはともかく過去の歴史的な人権問題には関わらなければいいのに(自分はどうなんだと当然問われるから)、オスマン帝国におけるアルメニア人虐殺の問題などに、トルコを批判するなどして関与しているところだ。
あれは実際にはフランス国内のアルメニア系の人々の政治的運動の成果であるわけだが、民主主義国家内において少数のエスニックグループがそのグループ単体の利益のためにその国の国論に影響を及ぼし、その国家にとっては長期的な国益を毀損させるという問題が、ここでも表れているように見える。
フランスはドイツやトルコ、そして日本の過去の歴史問題についても、罪と向き合うように求めているが、形式的には謝罪と補償を終えているドイツ・日本、アルメニア人虐殺において言論上の縛りをもうけていないトルコと比較して、フランスの状況は「更に悪い」と言うしかないと思うのだが、フランス人は戦勝国というただ一点に縋り付いて実に無邪気であるように見える。


これは友人のベトナム人女性から聞いた話なのだが、彼女が在籍するベトナムの大学のカフェテリアにある時、三人の白人男性が座っていて、そのうちの一人をほかの二人が激しく批判しているのを見かけたのだそう。
責められていたのはドイツ人、責めていたのはオーストラリア人とフランス人で、ナチスのことについてそのドイツ人を責めていたらしく、ドイツ人は困惑している風であった。見かねてそのベトナム女性が声をかけたところ、君の専攻は何?と聞かれて、日本語ですと答えると、日本のような戦犯国の言葉を学んで恥ずかしくないのかみたいなことを言われたらしい。
オーストラリア人はともかく、フランス人がベトナムで、あたかも自分は無垢であるかのようにベトナム人に対して振る舞える無神経さに話を聞いて私は呆れたのだが、日本やドイツの過去の歴史清算の問題が、歴史清算の問題ではなく「日本やドイツの」と「」付の限定を伴って流通していると感じずにはいられない。
オーストラリアについて言うならば、大量虐殺と迫害の上にオーストラリア植民地は築かれたわけで、しかもそれは過去の話ではなく現在もなおオーストラリア国家は存在している。
植民地主義の過去の清算を言うならば基本は原状回復をするのが筋ではないか。フランスのアルジェリア植民と比較しても、その入植時期はほぼ同時期であるし、アルジェリアからフランス人が引き上げたのだから、オーストラリアの白人がヨーロッパに戻るのも不可能ではないはずである。
もっとも、私自身は、そうするべきだと思っているわけではない。そうしないべきだとも思っていない。どういう方法をとるにしても、過去の歴史清算を現代において行うのは、それなりの困難さがあると考えているだけだ。
オーストラリアのように、現時点でも過去の植民地主義の成果の上に利益を引き出している国ならばともかく、ポルトガルはむしろ貧困国と言ってもいいかと思うが、奴隷貿易で最も長期にわたって従事し、最も利益を上げた国がポルトガルなのだから、ポルトガルが補償を含めた清算を行わなければならないとすれば、それは実際には先人の罪を負債として子孫に負わせる、ある種の差別になるのではないかとの懸念もある。
私は日本やドイツが過去の事例について向き合う必要はなく、補償もしなくてもいいと思っているのではない。しかし今現在、実際には「」付の敗戦国に限って実際にはその清算が迫られているのだとすれば、それは無邪気にドイツ人を責めるオーストラリア人やフランス人のように、過去の清算を自分たちの問題とは考えないことを促し、その困難さの中で、未来に向けてどうしていけばいいのか、現実的に思考してゆく妨げになっているのではないか。