首相職の重み

東国原さんの何がダメなのだろうか?

 たとえば、「産経新聞」(7月9日)に櫻井よし子氏は次のように書いた。
「タレント時代、東国原氏が16歳の少女への淫行で事情聴取を受けたのは周知のことだ。氏は、少女が『18歳未満だとは知らなかった』と弁明する一方で、芸能活動の自粛に追い込まれた」(中略)「東国原氏の望みがかなって、自民党総裁となり、さらに日本の首相となりサミットなどで国際舞台にデビューしたとする。諸国のメディアは各首脳の人物紹介で、少女淫行の一件に触れるだろう。国内ならまだしも、日本国の首相に関してこの種のことを国際社会で書かれたくないと思うのは、私ひとりだろうか。東国原氏には、そのような事態を避ける形で活躍を続けてほしいと私は願うものだ」

 この意見には、少なくとも素直には同意しにくい。
 櫻井氏にとって「国際社会」は特別な重みを持つもなのかも知れないが、過去の淫行歴が恥ずかしいから大衆を代表するような立場に立つなという立論を認めるなら、知事のポストもそうだろう。「国内ならまだしも」というのが櫻井氏の本音なら、これはかなり奇妙だ。日本人が立派であることが大切なら、「国内でも(同等或いはそれ以上に)ダメなのだ」というのでなければ、日本人(の世論)を貶めていることにならないか。だとすれば、これは、櫻井氏らしくない。国際社会だけでなく、国内政治でも、たぶん芸能界でも、東国原氏は出てくるべきでないというのが、櫻井氏の本音なのではないだろうか。

 東国原氏の淫行事件は、「18歳未満だと知らなかった」ということで、法的には問題にならなかったが、社会的には大いに批判されて、東国原氏は芸能活動中止に追い込まれた。氏は、フライデー襲撃事件や後輩タレントへの暴行などの事件も起こした過去がある。だが、これらは、何れも少なくとも法的には決着している問題だし、過去の問題だ。
 淫行や暴力を肯定するつもりはないし、私の東国原氏に対する人物評価の中に、こうした事件が影響していることも否定しがたい。
 しかし、過去に起こした問題が将来いつまでも社会的に排除される理由になるという理屈を社会的な正論として通すことには賛成できない。この理屈は、人に失敗を許さないし、何よりも失敗からの立ち直りを許さない点で不健全だ。たとえば、服役を終えた過去の犯罪者を、前科のゆえに排除するという論理を許すと、この人は更生が非常に難しくなる。この点は、社会の側が我慢する節度が必要なポイントなのではないか。東国原氏の淫行問題がどの程度「終わった問題」なのかについては一筋縄ではないが、出所した服役囚程度には「終わっている問題」だといってもいいのではないか。
 「東国原首相なんて、とんでもない」という点で気持ちは同じなのだが、私は、彼の過去の淫行事件をその理由に挙げたくない。できれば、別の理由で批判・反対したい。特に政治のような参加の機会均等が重要なフィールドで、過去の「もうすんだ話」を排除の理由にするのは反則技(=止めた方がいい、下品な行為)だろう。「思っていても、大っぴらには言わない方がいい話」なのではないか。

私はむしろ山崎氏のご見解に同意し難い。
東国原氏は公になっているものだけでも過去に二度、暴力事件を起こし、淫行事件を一度起こしている。当人がそれを反省しているか、更正しているかは問わないとしても、起こしたことは事実である。それは事実としてはずっと残る。
彼が首相になった場合、この点を海外のマスコミにあげつらわれることはあり得るし、逆にそれを克服しようとするために、児童ポルノ問題のような「大義名分」が関わる問題で、必要以上に踏み込まなければならない危険も生じる。
そのような危険を持つ人物をわざわざ首相にすることが妥当な行為なのかどうかということが問題にされているのだ。東国原氏自身はこのリスクを国益からかんがみてどのように考えているのだろうか。
例えば、レイシズムの見解をある人物が持っていて、それをしばしば表明していて、そのこと自体は、違法でもないわけである。しかしそれによって予想されるリスクがある時に、その人物が日本国の首相を目指そうとしている時に、それを批判することが下品な行為になるだろうか。
首相のような特別職の公務員は一般の就職とはまったく話が違うのだ。
東国原氏が事件を起こしたのは未成年の時ではない。
そしてそのような失敗を起こさない人の方が圧倒的に多数であり、政治を志すような人であれば尚更である。
よりリスクの無い人と比較した時に、どうして東国原氏は自分の方が国家にとって有為であると主張できるのか、自分が抱えているリスクをどうコントロールするつもりなのか、日本国を率いるつもりであるならば、説明する責務があるように思う。
彼がこのリスクを非常に軽いものとみなしているのであれば、それは政府を背負う責任を軽く見ているからではないか。
無論、同様のリスクは程度としては小規模ではあるが宮崎県知事になった時にもあったし、私はそれを批判した。日本国全体に、彼を首相とするリスクが拡大するのであれば批判の程度が更に強まるのは避けられない。
彼が口ほどに日本国の利益を考えているのであれば、首相を目指すという選択肢は彼の中には生じないだろうと私は思う。