次郎物語

いつからとはなく、僕の実家の子供部屋、ひいては僕の部屋には「次郎物語」があった。物心つく前からあったから、僕が生まれる前に誰かが読んだのかも知れないが、姉は読書をする人ではなく、父母が好んで読むような本ではないから、乳幼児の自分に誰かから頂いたものかも知れない。僕の部屋の本棚には、僕が頼んで買って貰ったものではなく、と言って他の誰かの本とも言えないような、そうした児童書がずいぶんあった。トーベ・ヤンソンムーミン関連の翻訳本もあって、それらは僕のお気に入りだったが、一度母に聞いても、母にはやっぱりそれらを購入したとか貰ったという記憶もないのだった。
考えてみれば、同じような話は随分あって、僕が小学校六年生の時くらいだったか、物置を整理していたらフルートが出てきたことがあって、こんなものはうっかり紛れ込むようなものではないから、家の者たちに聞いてみたけれどもそんなものは知らないという。不思議な話だったが、それが縁で、そのフルートは僕のものになって、暇つぶしに独学でフルートを奏でるようになった。
とにかく、いつの間にからか実家の僕の部屋にある「次郎物語」だったが、古臭くて、何か嫌な感じがあった。同じような本では「君たちはどう生きるか」もあったけれども、こちらの方はずいぶん好きなお話で、少年の頃、出来るかどうかはともかくとしてこんな風に生きなければならないと思ったものだ。僕は小説の主人公になれるような立派な少年ではなく、卑怯で怠惰な子供だったけれども、それでも卑怯であることは自覚していたから、文学から得られた指針のようなものは無いよりはあった方が良かったのだと思う。
次郎物語」を読んだのはテレビで放送された映画を観た後だと思う。加藤剛高橋恵子が出演していた版のやつだ。舞台はどこ、とは書かれていないがおそらく作者の故郷である佐賀平野であって、その風景が美しいことがその映画の魅力だった。
佐賀には縁もゆかりもないがひとつづきの平野になっている筑後平野には祖母の実家があって、子供の時にはたびたび遊びに行っていた。大河がはぐくんだ平野の田舎の景色は筑後も佐賀も同じであって、「次郎物語」はどこか子供の頃の郷愁を感じさせてくれて、それがその映画が好きな理由だった。
それでその流れで小説の方を読んでみたのだが、とんと得心がいかない。主人公の次郎は、幼いころに乳母のところに里子に出され、実家に戻されて後はみそっかすみたいな扱いを受けて、おばあさんに特にいじめられるお話なのだが、そのお話の道理がどうにも納得できなかった。結局、次郎につらくあたるのは、おばあさんだけなのだが、お父さんもお母さんもおばあさんには遠慮して何も言わない。そのくせ、男は大きくなれみたいなことをお父さんは言う。時代の違いかも知れないがまったく納得できなかった。
親ならば、子を守るのが本当だろう。それを立場に汲々として、幼いわが子が苦しんでおきながら何もせずに、それでいて偉そうなことを言う。卑怯、というのはこの小説のキーワードなのだが、こんなに卑怯な親はないだろうと僕は思った。おばあさんそのものよりも、おそらくこの保身に汲々とする親の方が次郎を苦しめたに違いない。
次郎物語は第一部は戦前、1941年に書かれて、その年のうちに映画化されている。よほど売れたのだろうか。作者の下村湖人近衛文麿が関係する青年運動に関わっていて、大川隆法の著作が書店に並ぶのと同じような意味合いで売れたに違いない。
今回、その後の話、未完で絶筆となった五部までを読んで、まあむかむかすると言うか、実に嫌な気分になった。三部以降は次郎の中学時代(旧制の話だから、今の数えに直すと中学一年から高校二年生まで、そしてその後の一年の話)の話なのだが、そこでは軍部を批判している。この部分は戦後に書かれたもので、同じことをなぜ戦前に言わなかったかと感じずにはいられない。
お話の流れから言っても、おばあさんはもうほとんど登場せず、次郎と社会不正の戦い、のような話になっている。
そこで書かれているような軍部批判、軍国主義批判は確かに下村湖人は前々から考えてはいたのだろう。ただ、下村湖人は地位も何も無かった人ではなくて、東京帝国大学を出た後は教育畑を進んだ人で、台北高等学校(現在の台北師範大学)の校長なども務めている。先述の、全国青年運動の元締めのようなこともやっていて、政財界にも知己の多い人であった。
次郎の中学には、朝倉先生という、軍部批判を行ったため免職になる先生が出てくるが、同じ中学には朝倉先生が教師としては道理だとは思っていても保身のために何も言えない黒田という先生もあり、下村のやったことはせいぜいがこの黒田と同じではないかという感じがある。もちろん人は弱いものだから、だからと言ってどうこう非難するには当たらないが、青年たちには卑怯をするなと言っておきながら、戦後になって舌鋒鋭く軍部批判をやるというのも、当人の中ではどう位置付けられていたのかは分からないが傍から見ていて爽やかさがないのも確かだ。
それは第一部において、結局なにもしないでおきながら、次郎には道義を説く次郎の父のありようにどこか重なっている。今回、とりあえずのしまいまで読んでみて、実に嫌な小説だと感じた。