ホビットの指輪

id:kuboyumi さんのこちらの記事、
http://d.hatena.ne.jp/kuboyumi/20140422/1398315571
を読んで、非常に暗澹たる思いにさせられた。どう書けば非難がましくならないか難しいのだが、非難にウェイトを置いて言いたいのではなく、事実として、精神薄弱者、あるいは精神薄弱者の傾向を持つ障害者の利害と、その保護者の利害は異なる。精神薄弱者の保護者の利害に配慮することがまったく無意味とは思わないが、保護者の方も、
「私を見て、私の愚痴を聞いて、誰か共感を示して」
というその欲求が将来的に子供の利益になるのか、それとも一時的に自分の溜飲を下げるものなのかは絶えず自問した方がいいと思う。人間は自分で自分を騙す生き物なのだから。傍から見ていて、id:kuboyumi さんの態度、思考態度は「この私の欲求不満」を晴らすためであれば合理的に見えたが、障害者の親、というか障害者の利益を考えなければならない人の態度としては、どうも地に足がついていないふわふわとしたもののように思えた。
例の、マイノリティ差別を日常の中で描いて、周囲の人々がそれにどう反応するかを眺めるアメリカのリアリティTVだが、何本か見たが根本的に演出が間違っている点がある。マイノリティ側が身綺麗な人、女性、子供であり、批判する側がそうではないという立ち位置が多い点だ。
「迫害される」のが同情すべき、美しい女性であったり、小さな子供であれば、多くの人には本能的な保護感情が湧く。ましてそれ自体が社会的に「保護をすべき」コードとなっているならば、防衛的な意味からもポリティカリーコレクトな側につくのは当然ではないか。
従って、障害者差別や人種差別をテーマにしたいならば、その属性を手に入れれば本能的に優位に立てる要素、女、子供、見かけ上の美しさ等を最大限排除しなければならない。
自閉症の例でいえば、先に言ったように自閉症者を中年太りの汚い中年男、彼にポテトを盗み食いされる人をか弱い女性(涙まで流して見せる)にしてみなければ、「自閉症者に対して市民がどのような態度を示すのか」は指し示すことができないのである。そして実際そこでは、女子供の属性という、ホビットの指輪を握っているのが「健常者側」である場合には、自閉症者は侮辱と暴力でもって排除されるから、どこの国でも刑務所は自己責任能力が疑われるような精神薄弱者で満たされることになるのである。
私がアメリカが異常であるというのは、この、社会的なホビットの指輪次第で、まったく猶予も与えず、相手にも相手の立場があることを猶予として考慮せずに居丈高に暴力を加えることである。これは例えば、児童ポルノの問題におけるペドフィリアの人たちに対する圧倒的な暴力を例として挙げればわかる人にはわかるだろう。この点においては私は日本人の方が圧倒的にまともでアメリカ人は気がくるっていると思う。この気狂いの暴力を、id:kuboyumi さんは「ヒーロー」と呼んだ。
私が彼女に対して何を疑問に感じているか、ここで明らかになった。自閉症者が、コードを無視した行動を取りやすいために時にそれは犯罪と解釈され、結果的に犯罪者になりやすい、されやすいということは事実であり、別に今更ここで言わなくても、自閉症児を家族に持っているなら、痛いほど噛みしめる現実として知っておいて当然の話である。
そのことを知っているにもかかわらず、「問題を抱えてはいるけれども、愛らしい顔立ちの少年」とその保護者で「周囲の無理解に批判されて、泣く女」という分かりやすいホビットの指輪に反応して、犯罪被害という現実の被害があるにもかかわらず、その被害者を一方的に罵倒し物理的な攻撃の姿勢さえ予想させる市民(警察官)をどうしてヒーローと称賛できるのかまったく理解できない。そのようなヒーローに虐待されることが多いのは、自閉症者の側ではないか。自閉症者は「かいじゅう」の側に立っているということをどうして理解できないのだろう。
id:kuboyumi さんはいつまでも息子さんが子供のままでいるとでも思っているのだろうか。まして他に娘さんがいて、自閉症児の親であればいずれ必ず来る、難しい時期のことを考えないではいられないはずだ。どちらも等しく我が子であっても、息子さんは「かいじゅう」の側に、娘さんは「ヒーロー」の側に立たざるを得ない時も必ず出てくる。彼女の記事にはそういう見通しがまったくうかがえない。あまりにも薄っぺらすぎるのは、障害者のことではなく、障害者のことを考える親のことでもなく、障害者を抱えるこの私、この私の苦痛のことがブログのテーマだからだ。そしてそれは、現に「ヒーロー」に肩入れしているように、障害者当人の役に立たないばかりか、彼を虐待するこの世界のひとつの部分になるにのだ。
そういうことが私を暗澹たる思いにさせたのであった。