アンクルトムとしての乙武さん

好きか嫌いかで言えば、私は乙武さんのことが嫌いだった。マジョリティに迎合している感じがあったからである。彼はかつて、障害者が叩かれる時、世間が無理解なんじゃなくてあなたの性格の問題なのでは?みたいなことを言っていた。今回、世間がどれだけ理不尽なのか、身を以て理解なさったのではないだろうか。
乙武さんの件を改めて整理しておくと、とにかく予約をした際に、乙武さんが車椅子を用いると言う情報が共有されていなかった。そこにそもそもの問題があるが、共有されていなかった責任は誰にあるのか。多くの人はそれを乙武さんの責任だという。しかし障害者基本法では、障害者がどこの店舗にも行けるのがデフォルトであり、何らかの理由で利用できないことが猶予として例外的に許認されているに過ぎない。構造上の理由等でお断りをしなければならない方が例外なのだ。
しかも事前に予約の際に、説明する機会がありながら店舗側はそれを怠っている。車椅子の利用が例外的なものであって、説明をされてしかるべきと思っているからである。その常識が間違っている。何も、過重に店舗側が対応しなければならないというわけではない。実際に、情報が共有されていない状態で、乙武さんがそのレストランを利用するのが物理的に困難になった時、彼を抱えて店舗に入れることを拒否するのは個々の判断によるだろう。
しかし乙武さんはいきなり来店したわけではない。事前に予約をし、その際に、説明を受けていれば自分で下準備をして対応することも可能だったはずだ。障害者の側に、事前に説明をしておかなければならないとする法は無い。対して、障害者基本法は、こうした社会的障壁の除去を要請している。どちらかを選んでどちらかに不備があったとするならば、どちらに不備があったのかはおのずと明らかだ。
本来ならば、
「せっかくいらしていただいたのに、私どもの不手際で、ご利用を今回は見合わせていただくよう申し上げること、まことに申し訳ありません」
とでも言うべき話であって、居丈高になるのはまったくあべこべの話だ。障害者を受け入れるのは恩恵、特典、やってやっていると思っているからだ。そこから先は債務不履行による損害賠償の話になって(民法415条)、結果的に予約と言う事前の契約が不履行になったのは、どちらの責任かという話だ。乙武さんに車椅子の利用を伝達しておく義務がなく(そうした方がいいという話と、そうする義務があるというのは別の話だ)、諸般の事情で車椅子を受け入れられない店舗が存在すると言うのが本来イレギュラーなのだから、そのイレギュラーな条件の説明を予約と言う事前伝達の機会があったにも関わらずそれを伝えていない方に責任がある。
そういうわけで、この件では乙武さんには不注意があったかも知れないし、現状から言えば、そうしておいた方がいいことをしなかったとは言えるが、責任があるとまでは言えない。
この件で、乙武さんを支持するゆえんだ。
しかし乙武さんはこれまでアンクルトムとして振る舞ってきた。今回、乙武さんを批判している障害者が結果的にそのように振る舞っているように。誰も憎まれたくはないし、厄介ごとにも関わりたくはない。「いや、あなたが思いやりを以て心根を変えればよろしいのに」みたいな『大人の態度』をとれば、自分は安全圏にいてさぞかし物の分かった人のように扱われることが出来る。
マイノリティが権利を主張したり、当然のことを当然と言ったり、これまでの常識に逆らったときには必ずアンクルトムのような人が出てくる。今回、乙武さんをあたかも呪うかのように口を極めて叩いている人と、乙武さんが障害者が異議申し立てをする時に、「それは社会じゃなくてあなたの性格に問題があるんじゃないですか」みたいなことを言った時に、やんやと喝采した人はおそらく同種の人たちだ。
そういうアンクルトムによってマイノリティが救われてきたことはない。訴えて、戦って、ぼろぼろになって、命を賭けて説得して来た人たちによって道は開かれてきた。
権利は勝ち取られるものである。恩寵として与えられるものではない。
今回むき出しの現実に直面して、罵倒されて、乙武さんはこれまでのことを乗り越えることが出来るのかどうか。乙武さんはこれまで障害者が「偉そうに特権を要求する」と障害者を排斥したい人たちの偶像であった。今も彼らは、当たり前のことを主張しただけの人に、そういう主張は障害者の立場を悪くすると恩着せがましく言う。障害者の立場を悪くするのは、彼らを悪く扱う人の責任である。そういう人たちから今後も悪し様に言われる覚悟が出来たのかどうか。
それが出来るなら今度の件は乙武さんにとっては無駄ではなかったということになるのではないだろうか。