いつか天使はモンスターになる

http://d.hatena.ne.jp/kuboyumi/20140416/1397793621
リンク先の記事自体には、はぁ、そうですか、以外に余り感想はない。自閉症児を抱えてあっぷあっぷしている時にやさしい言葉をかけられて泣いてしまった、ということなんだろう、というかそれですべてだろう。
僕がそこから気になる、考えさせられるのは、リンク先の筆者が子供から目を離したことが原因で、何時間も店舗を閉めなければならなかった経営者や、忙しい間に時間を作って、やっと買い物に来たのに週末が台無しにさせられてしまった利用者たちの損失を誰が補填するのかしらということだ。
子供にバッジをくれた警官がそこまで面倒を見てくれるというならばヒーローだけどね。
id:kuboyumi さんはそこまではたして「気になった」のでしょうか。
この空気感ならば経営者や損失を被った利用者たとてもリンク先のブログの筆者に損害賠償を請求できそうにもないし(id:kuboyumi さんを感激させたこの空気が、まぎれもなく暴力の一種であるゆえんだ)、まあ、「泣き寝入り」をさせられるんだろう。その「泣き寝入り」を市民的義務と解釈したり、思いやりと受け取れる程度には彼らには経済的な余裕があるし、いかにもシリコンバレーな話だ。
僕にはこの空気はアメリカの狂気の現れであるようにしか見えない。
id:kuboyumi さんのその経験自体は、そうなんですかとしか言いようがないのだが、彼女が「かっこいいアメリカの例」として挙げていたビデオには吐き気がした。
https://www.youtube.com/watch?v=qabSiRIf7TU
このビデオである。
問題になるのは2例目で、自閉症の少年がおじさん客Aのフライドポテトを盗み食いしたのに腹を立て、おじさん客Aが自閉症の少年Aの母親に「彼をコントロールできていないのではないか、公衆の場に出すべきではないのではないか」と言う、と言うか絡む。その母親が泣きだして、おじさん客A以外の客は自閉症児の母親側につき、警察官を職業としているという男は激しくおじさん客Aを罵倒する。
id:kuboyumi さんはこの警官を「かっこよすぎる」と言うのであった。
僕が違和感を感じたのは、窃盗という行為自体は発生しているということだ。被害が軽微であったり、少年が自閉症児であるというやむを得ない事情があるのだとしても、行為自体は窃盗である。自閉症児の母親はおじさん客Aにごめんなさいと謝ってはいるが、事情を説明しようとはしていないし、第一に、損害賠償をしていない。言ってみれば、損害-損害賠償というリーガルな対応を最初からせずに、「この子は自閉症児なのよ、かんべんしてやってよ」という長屋の論理で対処しているから、おじさん客Aも長屋の論理で「おめえさん、そりゃちょっと考え違いしてないかい」と自説をまくしたてるのである。
しかもおじさん客Aの言う「彼はコントロールできていない」というのは全くの事実である。
ここで言っておくが、僕は彼がコントロールできていないから家に引きこもるべきだとか、全責任をまったく何のミスもなく保護者が背負うべきだとは思わない。これは、自閉症児と言う我々の社会の一員でありながら、確かに他の成員に特別過重な負荷をもたらす「重荷」を社会がどう受容するのかという問題だ。
僕はその重荷を親だけに押し付けるのは問題だと思うし、いずれにせよ、リーガルな対応だけではない、ケースバイケースの市民的な寛容を僕たちが少しだけ自らに課すだけで、障害者もその家族もずっと生きやすくなると思っている。
忘れてほしくないのは僕は乙武氏の銀座レストラン問題で、彼を徹底的に擁護したし、id:kuboyumi さんの提示したビデオを見て、「感激」している人の大部分は、障害者が法的な自らの権利を主張すれば、悪し様に罵ったという過去の事実である。
id:kuboyumi さんご自身はどうかは知らないが、彼女の記事にそそのかされて「感激」するメンタリティと、障害者が生意気な態度を見せれば限度を越えて激しく攻撃する人のメンタリティはおそらくそう遠くはない。
ビデオの話に戻れば少なくともリーガルな正当性はある、というかリーガルな正当性は彼にしかないおじさん客Aを罵倒し、ののしり、発言を封じ込め、その場所から追い出したのは、その警察官ではないか。かっこいい/かっこうわるいの話ではなく、彼が行ったことは侮辱、罵倒、攻撃準備という、犯罪そのものであった。彼がかっこいい?僕には彼は犯罪者以外に見えない。というか、どうして彼の行為が犯罪に見えないのだろうか。id:kuboyumi さんは、「立場や考えの違う人を尊重する」ということができていないのではないか。
もし彼が話に割って入るならば、警察官ならばなおさら、仲裁者としてふるまうべきだった。ポテトを盗み食いするという犯罪行為があったのは事実なのだから、常識的に考えれば損害は金銭で補償するしかない。ただ謝るだけではなく、被害者に損害を弁済することを自閉症児の母親に言うべきであったし、それを言うのが状況的に酷だというならば、とりあえず、警察官は自分でその男にポテトを奢ってやってもよかったのだ。僕の考える寛容はそういうものだ。
自閉症児を抱えて、日ごろから鬱々とすることが多いからと言って、「自分の敵」が叩きのめされて当然と思うこと、相手がリンチを受けている時に、リンチを加えている暴力を「かっこ良すぎる...。」と言うことでは決してない。それは寛容ではないだけではなく、寛容から一番かけ離れたどす黒い感情だ。
彼が行ったことは、自分の感情を爆発させることであり、被害をこうむった被害者の損失をまったく無視し、その被害を訴えることさえ、侮辱と罵倒と戦闘準備の体制によって封じ込めたのだ。これが警察官がすることだろうか。
僕は彼は罷免に値すると思う。法の番人を務めるには愚かすぎる。
もちろんおじさん客Aがこうむった被害はポテトをいくつか盗み食いされたということであって、外形的には非常に軽微に見える。しかし内面のことは誰にもわからない。おじさん客Aはひどく傷つきやすいのかも知れないし、貧乏で年に一回、やっとポテトフライを外食するのが精いっぱいの贅沢なのかも知れない。
その内面に属する被害感情の是非について、他人がとやかく言うこと自体が間違いなのだ。
もっとわかりやすい例で言ってみようか。
自閉症児は45歳、汚い格好をした太った男であり、始終、股間をまさぐるなどの奇行が見られる。彼のために弁護してくれる親はもう他界していない。さて、レストランの入り口、おとなしそうな、おびえた少女がいて、彼女がポテトフライを食べている。股間をまさぐった手で、自閉症児はポテトをわしづかみし、ほとんどを食べてしまう。彼女はショックで口もきけない。やっと抗議しようとするけれど、自閉症児は威嚇して、少女は泣き出してしまう。
背後の席で少女が泣いているのにきづいたオフタイムの警察官は、どうしたの?と聞き、彼女は「あの男の人が私のポテトを盗んだの。私の一日分の食事なのに!」という。
僕はほとんど確信しているが、今度はリンチを受けるのは自閉症児の方だ。こういう例が珍しくないから、自閉症児は「犯罪者」にされやすいのだ。双方の事情を聴いて、仲裁するという人がいてくれれば、少なくともリンチは避けられるかもしれない。それは相手の被害を軽く見て、一方的に罵倒する警察官にはどだい無理な仕事だ。