20年の休暇

 最近の国際情勢を見ていれば、20年前、standpoint1989 の名前で、「小さな目で見る大きな世界」と言うブログをやっていた頃に言っていた通りになって来ていると思う。カッサンドラを気取るつもりは無いが、どうして頭の良い人たちが、構造を読めずに20年間を無為に過ごしてしまったのか。

 私は副業として小説を書いていて、そちらでもいくばくかの収入がある。文学者と言えば文学者であるし、感情表現のプロであると言えば感情表現のプロである。逆に、私にしてみれば感情や性格、倫理などは、「技巧」でしかないので、そこに本質があるとはまったく思っていない。

 しかし、多くの人にとっては、可能な限り、であっても自分と言う人格を含めて、感情を引き剥がして世界を見ると言うことが、どうもよほど難しいことらしい。

 リアリズム、と言えば陳腐になるが、リアルの世界がリアルに依存している以上、リアルに基づかずして何一つ議論できないのにもかかわらず、イデオロギーと言う自家中毒に人類が陥っているように見える。

 急いで言っておかなければならないのは、イデオロギーのリアルにおける効力を私は根こそぎ否定しているわけではないと言うことだ。おそらくは私たちは「嘘をつく」ことによって、ホモ属の兄弟たちを殺害して孤独の勝利の地平に立っているのだから。

 20年前、ニューヨークの双子の巨人が崩れ落ちた。天を支えるアトラスが膝を屈したかのようであったが、何千人もの狂信者が頑張って頑張って命を犠牲にして計画実行してもしょせんはあの程度である。

 構造的な問題から、目を逸らす結果にしかつながらなかった。テロとの戦い。戦う必要も無かったのだ。特にアメリカ合衆国にとっては。イランや、イラクで人々が圧政に晒されている。それがどうした。そんなのはそれぞれの国民の自業自得ではないか。

 石油の権益も独裁者たちと話を付けた方がよほどやりやすい。

 アメリカ合衆国が迷走した責任は、ユダヤ人のせいである。

 第一にアメリカの国益には直接絡むことは無いイスラエルの生存が、優先順位の高いタスクに設定されてしまった。

 第二にロシアへの復讐心が限度を越えて強調されてしまった。

 これが公式のマスメディアで言われることはおそらくないだろう。アメリカにおける、第2次大戦後のユダヤ人の悪影響は、帝国が内部においてインナーエスニシティを持つことの危険性の代表的な一例になるだろう。

 個々人のユダヤアメリカ人の是非とはまた別の話であるが、ユダヤ閥の問題は、アメリカ外交を構造の問題から切り離して不自然な動きをさせたことにある。

 親イスラエル=反ロシア=親中国の動きは、それは反テロリズムの動きが彼らにとって都合がよかったことから、20年の無為をもたらすことになった。

 

 普通に考えればユーラシアに台頭する2大国のうち、ロシアと中国のどちらが海洋勢力にとって脅威となるかと言う単純な話である。

 早い段階でこの単純な構造への適応に着手していれば、中国がそもそもこんなに強力になることはなかっただろう。

 過去に何度も言ったが、これはアメリカ人の悪癖である。キッシンジャーブレジンスキーほど個人としてこれほどの損失を祖国にもたらした人たちはいない。彼らがもし、「アメリカの国益」にプライオリティを置いていたのだとすれば、私は世界史史上最悪の無能は彼らであると断じられるほどだ。

 アメリカは超大国であり「島国」であるがために、世界情勢に鈍感であっても生き延びられるのだ。その鷹揚さが、国益の確保において失敗すれば死ぬしかないと言う切迫さを持っている他大国とで競り負けると言う結果を何度も何度も引き起こしている。現代史を見る限り、アメリカ外交ほど失敗続きの事例は無いと言えるほどだ。

 優秀な無能者たちが、個々人の利益のために動いているからである。

 中国は憎悪によって作られた国である。憎悪によって作られた国は強い。19世紀以後、中国がしてやられたのは地物博大の国だったからである。中国は世界だった。世界人であることは、何物をももたらさない。李朝が弱小だったのはその世界性を真似したからである。

 排他性、憎悪、恐怖、嫉妬、それらこそが民族を形作る。他者を持たない国は、他者の侵入によって自己の境界線を失うのである。

 しかし中華人民共和国日中戦争の銃火によって生まれた国である。虐殺を餌にして肥え太った国である。日中戦争によって中国人は初めて他者を持ち、他者を持つことで初めて自己を持ったのだ。

 こう言う国は強い。

 早めに封じ込めに走るべきであった。いや、少なくとも日本は、冷戦直後からその動きは見せていたのである。宮沢プランとEAEC構想。いずれもビル・クリントンによって叩き潰された。

 アメリカは幸福な国である。ビル・クリントンのような言語道断の愚者が政権を握っても潰れない。だが、今後の検証で、彼は必ず歴史によって断罪されるだろう。

 日本の目的は、防衛的なものであったので、ならばアメリカが肩代わりして積極的に、今のQUADに相当するような機構の構築に取り組んでいればよかったのだが、それも遅れに遅れた。

 もちろんそうなるように中国側の巧妙な働きかけもあった。

 考えてみればこの、「猫撫で声」期における中国の行動を、冷戦期のソ連はほとんど採っていない。ソ連を出国した者たちは亡命者ばかりだったのに対して、中国からの出国者は中国から出国を認められた共産党員であった。

 我も人なり、彼も人なり。

 それは確かにそうだが、私は自分をさほど評価していないので、彼も人なり、ならば私程度には邪悪だろうと思う。しかしリベラル派は、あまりにも自画像を美しく描きたい傾向が強すぎるので、どうもころりと動かされる傾向がある。

 日本国内でも行われた、普通の中国人たちが行った、反ダライラマデモ、反香港民主化デモ、リベラル側からの強い粘り強い批判はあっただろうか。私は彼らを評価するに当たっては残念ながら「馬鹿」か「邪悪」かの二者択一でしか評することが出来ない。

 これは社会政策、労働政策、経済政策では、最も親和性が強い政党が日本共産党の私としては、とても残念なことである。

 

 ここに来て、トランプ政権以来、バイデン政権もまた対中国の重い腰を上げたとすれば、それは中国が馬鹿馬鹿しいほど慢心しているからだろう。中国もまた、リアリズムの統制のたがが外れようとしている。オオカミ少年たちを呼び込んでは、そのオオカミ少年たちに実権を奪われようとしている。

 こうなる前に管理の姿勢を打ち出していれば管理可能であったし、中国も落ちずに済んだのだ。私は20年前から同じことを言っている。