謝れったって謝るわきゃあないわな

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080930/p1
リンク先の記事はいちいち正論なんだけど、謝れたって、謝るわきゃあないよねと。
20世紀の歴史を経て、いろいろ社会的な実験が行われてきて、はっきりしてきたのは、自由主義には限界があるよ、ということ。
そりゃま、理屈で言えば、ここでも自己責任を徹底するのがリバタリアニズム的には正しい。
こういう時こそ、お得意の自己責任でしょとシニカルに言うのは理屈としては正しいけれど、経済も国家も何もかも崩壊して正しさだけが残っても、それどうなんよ?という。
ただ、今回は共和党リバタリアンたちは、理屈を貫徹したわけで、自己責任の不徹底、という問題では(少なくとも金融安定化法案否決については)ないよね。
理屈を徹底されると破滅が待っているという問題。
中道を批判する人たちは、これで中道の大切さを理解できるでしょうかね?
「いい加減」「適当」「まーこのへんで手を打ちましょう」というなあなあさが、どれほど大事かということが。
ネオリベだって、効率の悪い福祉国家の効率だけと対比させればいいところはあるのであって、その正の側面だけに光を当ててきた支配的なイデオロギー、広く言えば今回の金融危機レーガン革命の現実からの否定であって、これは20世紀初頭から続く、管理路線と自由放任路線のイデオロギー上の対立のひとつの帰結であるわけですよ。
もういい加減、いいとこどりのつまみぐいをする「適当さ」を政府も言論人も学んでもいい頃だと思うんだけどなあ。