彼は誰の子

生物上の血統主義などと考えていると、生物上の血統とは何かと考える。
それはつまり生物とは何かということにもつながろうが。
人はおおむね両親から半々のDNAを受け継ぐわけだが、正確に半々ではなく、突然変異を起こした部分もある。
ヴィクトリア女王血友病遺伝子などは彼女の中で突然変異を起こして生じたものだ。
その突然変異を起こした部分は両親由来ではないのだから、その部分は「血統に属さない」のだろうか。
どれだけ両親から引き継いでいれば「血統」で、どれだけ別個の遺伝子が入り込めば「血統」ではなくなるのだろうか。
たとえば。
孫の世代であれば祖父母の世代のある個人から引き継がれるDNAは確率的に四分の一になるが、あくまで確率なので、理論上はまったく引き継がない場合もあり得る。
外国人と共通したDNAを持っている場合(当然持っているわけだが)、むしろ外国人との間で共通したDNAが多い、ということもあり得る。
太郎氏がアメリカ人であるジェーンさんと結婚して、生まれた子である次郎氏が日本国籍になったとしよう。
次郎氏がフランス人であるフランソワさんと結婚して、生まれた子である三郎氏も日本国籍になったとしよう。
三郎氏の日本国籍は、さかのぼれば父系を辿った太郎氏の「血統」であることに由来する。しかしその血統がDNAであるとすれば、確率的には太郎氏のDNAを三郎氏がまったく引き継いでいないこともあり得る。
血統をDNAとした場合に生じる「矛盾」である。
もちろん父系でつながっていれば、Y染色体は一致しているだろうが、母系と父系で交差していれば、Y染色体ミトコンドリアDNAも共通しないことになる。
DNAと言うが、DNAはデオキシリボ核酸というハードウェアであり、その中に意味のあるデータである遺伝子というソフトウェアが含まれている。
塩基配列が一致していれば、同じ設計図を用いれば同じ部品が出来るように、形状や機能としては同じものが出来上がるが、それを「血統」と見なせるか。
「血統」はハードウェアの中にあるのか、ソフトウェアの中にあるのかという問題である。
遺伝子操作は将来的にあり得ることなので、そうしたことも考慮すれば、非常にややこしい問題が生じることが予想される。
いや、これはこういうことにしましょう、という合意による判断が生じた時点で、それはもう「法的な血統主義」であって生物上の血統そのものではない。
遺伝子操作を言えばいかにも怪しげに思うだろうが、たとえばハンチントン病や鎌状赤球症のような遺伝病を「根本的に治療する」のは遺伝子操作を行うということだ。
生物上の血統由来でそのような遺伝病を患っているとすれば、その遺伝病も含めて血統であるので、それを改めるとすれば、程度において血統から外れるということである。
私たちの時代は、自然分娩のみであった時代からずいぶん遠いところへ来てしまった。
しかしそれが私たちの時代、これからの人たちの時代であり、その時代にあっても、法律は存在しなければならない。