源氏考

私が芥川の「地獄変」を読んだのはわりあい年齢を重ねた頃で、大学を出るか出ないかの頃だった。
ここに出てくる堀川の大殿とは、藤原兼通のことを言うともいい、道長をモデルにしているとも言う。
大殿の栄華の描写、その評価が大鏡に出てくる道長に近似していることから、私は道長を当てはめている。
青年の頃の私が衝撃を受けたのは、作品そのものにというよりも、おのれが迂闊さに対してであった。
と言うのは、この作品に出てくる大殿はさしたる罪過もない女房を焼き殺すという非道をなすからであり、それによって私は改めて平安時代における警察機構、裁判機構の不在に思い至ったのだった。
無論、検非違使なり、蔵人頭などはいたにせよ、それは権力者が統治するための手段であって権力者をも拘束するものではない。
そのような世界で数々の傍若無人な振る舞いが権力者やその一族によってなされたであろうことは想像に難くない。
私は既に源氏物語を読んではいたけれど、テキストは共有していても、コンテキストは作者とは共有していなかったことに初めて気づいた。
源氏には人間の薄暗い姿も確かに描かれている。
桐壺の更衣や、夕顔は苛められ、六条御息所は侮辱され、幼い紫の上は侮られる。
しかし私はそこに描かれているテキストを正確には理解していなかったのだと思う。
今日にもあるような正妻と愛人の間のいざこざのようなものとは程度がまったく異なる、権力の有無から生じる圧倒的な「格差」、それを踏まえずして、平安時代を理解することは難しい。
そこまで考えて、私は日本史の授業で習った北条政子の説得がいかなる意味があったのかに気づいた。
彼女の言う、頼朝のご恩とはいかなるものであったのか、それ以前を知らずして理解することは出来ない。
日本政府は頼朝によって始まる。
逆に言えば血筋の持つカリスマがいかに日本人を拘束してきたか、その裏返しとして差別と侮蔑があったのかをも思う。
明石入道が桐壺の更衣と細い縁を持つように、源氏はある種の観音の如きものとして描かれたのかも知れないと思ったこともある。
源氏が「触れる」者たちは敗者の一族ばかりであり、敗者は源氏を通して栄光を取り戻すのである。
しかし源氏自身はそのような救済意識の欠落した人物であって、決して思想的な存在ではない。
そのような思想を前提にした場合、作中における近江の君などの扱いは余りにも非道いというしかないもので、紫式部に明確なそうした思想や意図があったとは言いがたい。
彼女は、源氏を評して「驕っている」とも言った人だが。
源氏を何度も読み返して思うのは、その政治性、暴力性が現代語訳においてはコンテキストを欠いている分だけもっと強調されてもいいのではないかということだ。
本来、暴力性の表れとして提出されているテキストが、コンテキストを欠いているために「雅」として処理されてしまう、あるいは源氏個人の「驕り」として処理されてしまう(だから源氏は嫌な男だと言う感想も生じるのである)、それは本来の源氏読みではないのかも知れない。
武家政権にあっては、源氏は朝廷の文化的優位性の象徴としてそれ自体が政治的な存在であった。
当然、その政治性のコンテキストに沿って、源氏の読み方が規定され、蓄積されてきたということでもある。
今日の源氏は文学であると同時に、そうした歴史の所産であり、文学として救出するためには、それが帯びている歴史性から意識的に自由になる必要がある。
そのようなことを、考えた。