城内実氏問題 - 無断使用とはどういうことか

誰かを政治的に応援するということは、その応援責任を少なくとも道義的には負わされるということである。その逆もまた真なり。
城内氏は、仲介者を通して「許諾」を(形式上)得ていたのだから、自分としては無断使用ではない、と弁明することは、つまりは直接、眞鍋かをりさんの意思を確認していなかった、ということである。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/42d4382ed6b688fbf4a4816189001097
玄倉川氏のおっしゃるとおり、44歳の社会人男性がすることではない。まして彼は、秘書を含めた「組織の長」なのである。
「一言、お礼を申し上げたい」
と、電話をかけるでもしていれば、確認できることなのである。
社会人としてあり得ないほどの迂闊さだろうが、私はこれをただの迂闊さの問題とは見ていない。
城内氏が最後まで結局理解できていないのは、思想信条の自由がごく個人的な権利であり、基本的人権であるということだ。
私個人の政治思想の意思を他者が代弁することは出来ない。
無断使用とは、私に無断で私の意思を捏造されることであり、徹頭徹尾、それ以外のものではあり得ない。
このような個人的な基本的人権を、当人ではない第三者(事務所)の許諾でどうこう出来るという発想自体が問題なのである。
仮に経路として仲介者を用いたとしても、基本的人権を尊重するという日本国憲法下の政治家として当たり前の意識があれば、最終的な確認は直接するはずである。
これは単なる迂闊さ以上の問題である。なぜならば、これはつまり、芸能プロダクションを通したコネクションに仁義を切りさえすれば、当人の自由意志はどうでもいいと言っているに他ならないからである。
例えば私がある会社の会社員であるとして、ある政治家の推薦人に、私の名前を勝手に上司を通して用いられることが無断使用でないということがあり得るだろうか。
私の意思の使用の許諾は私以外には出来ないはずで、それ以外の誰が許諾したとしても、私の意思確認が出来ていないならば、それは無断使用である。
この場合は、署名運動のような不特定多数を相手にした活動でさえない。対象は眞鍋かをりさんただ一人なので、確認の労はいかほどでもない。城内氏はそれさえ怠ったのである。
そしてそれは単なる怠慢の問題ではなく(怠慢の問題だとしてさえ、政治家としてはもちろん、社会人としてもひどく問題のある愚かしい態度ではあるが)、そもそも当人の意思確認の必要を認めていないメンタリティの問題なのである。
それはつまり、この人が44歳になるまで、コネクションの中で、個々人の自由意思を尊重しない生き方をしてきたからそうした発想が出てくるのだというしかないのである。
表沙汰になっていないだけで、これまでこの人は他にどれだけの人権侵害をなしてきたのであろうか。
それを悪として自覚した上で行うならばまだしも、その悪を悪と認識さえしていない、非常に独善的な貴族的純粋さがそこに見てとれる。
44歳ではもう変わらないだろう。
その性格は他のあらゆる事柄で、この種のつまらない軋轢を招くはずだ。日本国内であれば、氏のお仲間の「国士連中」やら諸々のコネクションで有耶無耶に出来たとしても、国外の人たちはそれらを考慮してあげる義理も何もない。
その場合、彼は彼個人としてだけではなく、日本の政治家として、日本国の名誉とともに糾弾されるのである。
彼には既に国籍法改正をめぐり、国際的に表沙汰になればどのようなネガティヴキャンペーンをはられても言い訳のしようがない過去の過ちがある。別にやる必要もなかった過ちである。
私はそこにこの人が冷徹に国益を見据えて損得勘定から言動をコントロールする能力が致命的に欠けていると見るし、そのような人物が日本政界に足場を持つということは民主主義国家なればこそ日本国民の責任として指弾されかねないのだ。
城内氏は周囲やおそらく当人が思っている以上に危険な政治家である。
彼の周囲には茶坊主と太鼓もちしかいない。ひとたびその外に出れば、誰も彼を甘やかす義理などないのだ。