吉本ばななの思い出

このような表題をつけると、私が彼女を個人的に知っているようにも受け取られかねないがそんなことはなく、読書体験としての「吉本ばなな」の話である。
後年、彼女はよしもとばななに改名している。そのように(平仮名のみで)表記すべきなのかも知れないが、改名して以後の作品は読んでいないので、読書体験として話すならば旧表記を使う方が適切だろうと思う。「ひこうき雲」に言及するならば、松任谷由実ではなく荒井由実と作者を呼ぶのと同じことだ。
私が彼女の処女作「キッチン」を読んだのは中学生か、少なくともその辺りのことで、その辺りのジュブナイルな年齢の者から見ても、彼女の作風、文体は「無意識過剰」だった。
後に、彼女が日大芸術学部を出てしばらく文学修行をしていたと知って、驚いたものだ。文章を学んでいて、ああした作為に欠ける文体を持てるものなのか、稀有な例だと思った(言っておくが褒めてはいない)。
日大芸術学部の文芸学科と言えばクリエイティヴラインティングのコースがあって、彼女がデビューした頃はちょうど、アメリカでもミニマリズムの全盛で、クリエイティヴライティングを出た作家が次々と輩出されていた。
吉本ばななの登場も、80年代にあった表層的な(かつ一方的な)日米文化共同体幻想のひとつの表れと言って良いかも知れないが、そうした現象からの決定的な逸脱は、彼女の文章力が、そうした修行時代からのプロフェッショナルな書き手たちと比較して(例えばデイヴィッド・レーヴィットイーサン・ケイニンスーザン・マイノットなど)圧倒的に稚拙であったことである。
肯定的に言えば、文章力なるモダニズムの縛りからさえも放たれていたという意味においては、吉本ばなな(とそれを受容した日本社会)はポストモダニズムの先端を行っていたとも言えるだろう。
それは現在のケータイ文学へと至る一連のムーヴメントの「始まりの始まり」、あるいは従来の「芸術」としての文学の「終わりの始まり」であった。
逆算して言えば、このことを以ってして私はアメリカ社会は見た目よりももっとモダニズムの社会である、日本と比較すれば、ということを知ったのだった。
その時代において最も象徴的に時代と寝た女である松任谷由実の作品の変遷を見れば、それはなお一層、明確になる。
彼女の作家としての才能は否定できないが、概ねその傑作はやはり初期から中期に至る頃に集中している(実際には荒井由実時代よりも松任谷由実になって数年間の頃の作品が最も出来が良い)。「好き」という言葉を使わずに情感を伝えることがプロフェッショナルならば、彼女はまさしくそうであったが、やがて作為としての剥き出しの語を用いるようになり、そこから作為が脱落して語が記号化していった。
その結果、表れたのはコンピューター言語のようなインプット表記の羅列であった。
作為の無さを、作為としての作為の無さとして見るか、ただの作意の無さとして見るか、それは吉本ばななを評する場面でも問われたのだが、彼女の場合は後者であったことから、彼女の文学性が問われたのである。
つまり彼女の作品を「文学ではない」と言う時に、そこで焦点となったのは単に彼女の思考の浅さや社会性の欠落、文章能力の欠如ではなく、「作為としての文学」のあり様だった。
主体的な人間性の欠落が指摘されたのであって、単なる稚拙さが指摘されたのではない。
そこには人間性を生物機械として扱う意識が既にデフォルトとなりその意識さえ知覚されないコマーシャリズムがビルトインされた姿のみがあるのであって、大量消費社会は前提でさえなく、それそのものなのであった。
そうした社会状況と密接にリンクしているという意味では、彼女の作品は極めて逆説的だが時代的であり、社会的な産物である。
「作為としての自己」を限りなくゼロにして、時代精神と同化することをアイデンティティとする結果においては、自己は存在しない。
自己に根ざさないものが果たして文学であり得るのかという命題が吉本ばななを受容する私たちに突きつけられた物の正体である。
しかし、とここで急いで付け加えて置くならば、実際のところ一個の個人が社会に同化しイコールで結ばれることはあり得ないわけで、時代の動きにつれて結果としてそうした擬似的な自己は取り残されてしまう宿命を負っている。
自己は社会がどうであろうとも自己であるが、社会化された「セカイ系」の自己は社会に依存せずには存在できないのである。
この点が、彼女と同時代の「少女小説家」たち(氷室冴子新井素子)と、彼女自身影響を受けた「文学的な少女漫画家」、例えば岩館真理子らと、吉本ばななが決定的に異なる点である。
10代、20代の「女の子」としては社会と一致していた自意識も、そのまま30代、40代になっていけばフリーク化してゆく。
彼女は既にただの「女の子」ではなく、商業的なアイコンであり、人脈なる政治力も持つ権威なのである。
よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」
リンク先のこの記事の引用部で一番異様な部分は34歳の男性を男の子と呼んでいる部分であった。その頃の吉本ばななから見れば、おそらく8歳くらいは年少の人ではあろうが、評価の対象としてそうした男性を男の子と呼ぶのはかなり難しい。
それを何気なしに言う行為には、彼女の少女性へのこだわりが強く見てとれる。
「私である私」ではなく「少女である私」という自意識には、自己そのものではなく少女性という社会的な概念を通しての自己規定がある。これは例えば、ユダヤ人が自分のユダヤ性を「意識せざるを得ない自己との葛藤対象」として捉える行為とはまったく異なった事象である。
極度にポストモダンであるように見える彼女とその作品がポストモダンなる時代的かつ社会的な現象に密接に根ざしているひとつの表れであるように思う。