会津士魂

敗戦責任における「礼儀」 - 雪斎の随想録
雪斎氏は会津若松飯盛山に、もし行かれたことがないのならば、一度行かれて見ればよいと思う。会津士魂とやらが、もたらしたものが明瞭に見えてくると思う。
(指揮する大人も付けずに為政者が)子供だけで戦わせて、幾十、幾百もの少年に腹を切らせながら、為政者は貴族として生き残った、それが会津士魂がもたらした結果である。
子を殺しておきながら自刎もしない為政者を私は信用しない。会津松平家に苦労があったのは確かだが、容保は宮司として(そうやすやすと庶民はなれない地位だ)平穏な余生を生き、その子は外交官で宮内大臣参議院議長である。容保の孫は皇族妃となり、今や徳川宗家も会津松平家の血統に連なる。
それらの地位が、会津の為政者の「苦労」であった。少年らを死地に追いやった一家の「苦労」であった。
その姿は戦後の昭和天皇に似ている。
「陛下はご苦労なさった」と言われるが、原爆に焼かれ、死地に置き去りにされ、泥水をすすったのは皇族ではない。
私が美智子妃の「入内」を重視するのは、それが国民と為政者の間の再契約の意味合いを持つからである。その国民から送り込まれた花嫁を皇室はいかように扱ったのか、松平信子松平容保の息子の嫁)がいかように接したのか、もし「士魂」が民への共感と贖罪を含んでいたらならばあのような態度は取れないはずだし、放置も出来なかったはずなのである。


限りなくマスターベーションに近いロマンチシズム、そうしたものが政治に入り込まぬことを政治家や政治学徒は心がけるべきではないか。
昭和天皇は戦後直ぐに皇太子に当てた手紙の中で「科学の欠如」が敗戦をもたらしたと言った。それは科学技術の意味ではなく、ロマンチシズムを排した冷徹な眼差しのことだろう。
今回の自民党のごたごた、首班指名で誰の名を書くかという議論が不毛なのは、しょせんそれが野党の話であり、何の影響ももたらさないからである。
麻生と書こうが、白紙で出そうが、他の人の名を書こうが、民主党が圧倒的多数を衆議院で握っている状況では、何の意味も持たない。
麻生と書け、書けないという議論がいずれにせよ不毛なのはそれが意味を持たない議論だからである。
石破茂氏は、その時点で総裁の任にある人の名を書くのが当然としながらも、「首班指名は議員にとって最重要事なので総裁選を先にやって新総裁の名を書くのが望ましい」と言った。
首班指名に重きを置く、置かないは精神的な領域の話であり、こうした精神論が議題になること自体、組織の弱体化を明示している。
麻生だろうが石破だろうが、どのみち野党からは首相は出ないのだから国家にとってはどうでもいいのだ。
そのどうでもいいことをスルーしたうえで、自民党にとってはより意味のある次の総裁選びを全党的な議論の中で時間をかけて行おうとした執行部の当初の考えこそが合理と言える。
しかし実際には総選挙から一週間、既に自民党は168時間を、後ろ向きの、意味を持たない、どうでもいい精神論のために空費した。
その空費と時間を無駄にしてなされた議論そのものがナンセンスなのだ。
雪斎氏の論もまたナンセンスなのは、つまりは「議論」の中にあるからに他ならない。
麻生と書こうとが、白紙で出そうが、そんなことは国家国民にはどうでもいいことだ。