太陽は沈む

デリケートな内容を含んでいるため、何度か映像化が試みられながらその度に頓挫してきた「沈まぬ太陽」がついに映画化され、10月24日、角川映画配給で公開される。

角川はミーハーなようでいて、むかしから意外とリスクをとる会社で、節目節目で、言論機関として筋を通した行動をとっている。
山崎豊子は特に「大地の子」以後、国民的作家と呼ばれることが多いが、「沈まぬ太陽」は文藝春秋で連載されていた「大地の子」が絶賛のうちに終了した後、注目される中で、週刊新潮に連載されたものである。
日本航空の暗部を抉り出した内容のため、この連載中、日航では週刊新潮を機内サービスで取り扱わなかったという。
版権は新潮社が持っているため、角川得意のメディアミックスとしては「沈まぬ太陽」はさほど旨味が無いのだが、それだけこの作品を映画化したいという熱意があったのだろう。
角川による映画化が決まってからも、紆余曲折はあったが、それを乗り越えての製作と公開である。
日航の影響力、そして日航そのものの弱体化が伺える。


そういう説明、描写が作中にあったかどうかは記憶していないが、「沈まぬ太陽」とは親方日の丸の暗喩であろう。太陽は日本そのものを意味し、日航は日本国家の象徴でもある。
沈まぬはずだった太陽が、今、ゆっくりと西陽になりつつある。
日本そのものが沈まぬために、太陽をいずれ沈める決心が国民には必要になるだろう。


私の父は、飛行機に乗る時は、日航を選んで乗っていた。いつか、その理由を述べたのだが、それによれば、日航は事故が少ない、万が一墜落しても、おまえたちには充分な補償が出るだろう、と言うのだった。
いわば、家長として妻子が遺族となった時のことを考えて、財務に信用があった日航を選んでいたのである。
そう語った直後に、羽田沖、御巣鷹山と立て続けに日航が大惨事を引き起こしたのは皮肉だった。
今、私は全日空を好んで利用しているが、二番手好みの性癖ゆえでもあるが、日航といえば事故が多い印象が出来てしまっていて、財務はなおさら信用ならないからである。
墜落したのは飛行機だけではない。日航にはかつての信用はもはや無い。
日本からナショナルフラッグが消えるか、早晩、現体制は崩れるだろう。


確か小学校に入るか入らないかの頃、私は日航機に乗った。当時は子供の乗客はわりあいちやほやされていて、いろいろ玩具をサービスで貰った(今もあるのかも知れないが、子供がいないものでよく分からない)。同じ頃、せっかくだから全日空にも乗りたいと言って、全日空機に乗り、やはりサービスで玩具を貰った。
全日空の方はボーイングのプラモデル。
日航は、同じくボーイングダイカストモデルで、タラップ車のミニカーも付いていた。
断然、日航の方が上質だった。
そこまでして貰いながら、全日空を利用しているのは日航に申し訳ない気もするのだが(言い訳をすれば日航もまったく利用しないわけではない)、今にして思えば、無駄と言っては何だが、余分なところで日航も浪費をしていたのだなと思う。
顧客獲得には結果としてつながらなかったわけだ。