分断は既にそこにある、床屋談義風に

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/10/post-8fd3.html
小倉先生のこの記事を読んでいて、なんかいろいろと溜息。
僕は子供手当てに差別性があるのは否めないと思いますね。
小倉先生は子供を持つか持たないか、選ぶのは個人の選択次第だと言いますけど、そうでしょうかねえ?
未婚の母は結構いるけれど、未婚の父は滅多にいないわけです。
なぜなら男は子を産めないから。
結婚する/しないも、希望者が全員できるわけじゃないんですよ。
門地、学歴、財産、性格、容姿等々で、選択可能性には生まれつきと言ってもいい差があるし、もちろん、子を産むに際しては性差もあるわけです。
属性を取り出して優遇するのは、国家が差別を行うのと同じことなんですね。


だからと言って、僕は子供手当てに反対だというわけじゃない。
小倉先生が言っている、年金が積み立て式じゃなくて賦課式だから子育て世帯優遇は合理だという考えには頷けませんが。そういう合理をなしていること自体、差別です。
税金式にすりゃそういう差別をわざわざ導入しなくても済む話でしょうに。
ユニバーサルな対応をするのはそう難しくないんです、本当はね。
例えば今の制度では転職が多い人や、無職期間が長い人、日雇い労働者なんかは、無年金になるリスクがものすごく高いんです。
税金式にすれば、ユニバーサルな対応が可能になりますから、そういう人も救済されます。
ただ、「まっとうな」ライフスタイルの人にとっては負担は重くなりますね。
日本の、ほとんどあらゆる福祉制度に見られる「異端を切り捨てて主流派の利益を最大化する」構造がここにもあるわけです。
この構造を擁護する、少なくとも無批判に肯定すること自体、差別です。
だから徹底して言うならば、子供手当てには反対しないといけない。少なくとも僕の立場としてはそうです。
しかし少子化対策としては止むを得ないだろうと。
それは正義ではなくて、特定の利益を導き出すためには止むを得ない必要悪であろうと。
僕の考えはそういうことです。


例えばアファーマティヴアクションがありますね。それに近いです。
日本で言えば同和対策がそれにあたるでしょうか。
当初、同和地区のほとんどが絶対的貧困の状況下にありました。
もし貧困を問題として対策をとるならば、あらゆる貧困者を対象にすべきでしょうね。
同和地区のみを対象にするのは、純粋に理屈から言えば差別です。
ただ、同和の場合は、貧困だけが問題ではないですね。それはむしろ結果であって、同和地区出身であると言うこと自体に、被差別性があったわけですね。
だから、普通の貧乏人は宝くじで3億円をあてれば、貧乏人であるという弱者性は解消される。
けれど同和地区出身者はそうはならないわけです。成功者になっても、あいつは同和だからと言われる。
野中広務さんのように、官房長官、幹事長を務めても「ああいう出自の人を総理にしちゃいかんわな」と言われるわけです。
だから当時の状況に限定すれば、同和地区に焦点をあてるのは合理であったと思います。
ただしこれも必要悪ですから、あくまで時限的なものですね。
今は、啓蒙はするべきでしょうけど、経済的な援助は止めるべきだと思います。


その程度の融通さは持ち合わせているつもりですけど、あくまで必要悪だとの保留は必要だと思います。


僕が福祉問題について言っていることはごく簡単なことです。
なるべくユニバーサルな制度にするべきだということです。
やろうと思えばすぐに出来ることです。それが出来ないのは、既に分断されている状態を維持したい人たちがいるからです。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20091026/1256542971
たとえばこの記事なんかそうですね。
生活保護水準以下で生活を強いられている人たちがいるのは事実です。
生活保護受給者のうち比較的、保護を受けやすいのは母子家庭の人たちですね。
秋田県であった母による娘の殺人事件では、犯人が生活保護を受けていたのを記憶している人は多いと思います。あそこは離婚家庭で、子の父親も健在で、別に障害があったわけではないですね。
こういう家庭でも生活保護を受けているわけです。
それ自体は別にいいと思いますよ。
一方、ホームレスなんかはなかなか生活保護も受けられない現実もあります。
ホームレス、特に高齢ホームレスなんかは今まで生きてきて何をやってたんだ、自己責任じゃないかとの意見もあるかと思います。
しかし、子を作って、離婚して、生活が立ち行かなくなるのもそれでいうなら自己責任ですよね。
子の福祉のためを言うなら、対象者は子だけであるべきです。
子を施設に隔離して、親のためには一銭も使うべきではありません。
そうしろと言ってるんじゃないですよ。理屈を徹底するなら、平等を言うならそうなるじゃないかと言っているのです。
分断はですね、親の命は尊くて、ホームレスの命は軽いと扱っている分断は、既にここにあるものです。
現在の制度が既に分断を前提としているんです。
分断されて、より軽く扱われた側が「なんで俺たちはこんなに軽視されてるんだ」と言うのは当たり前じゃないですか。
制度的にその軽く扱うことを是としているなら、軽く扱われていない方を引き摺り下ろすのが平等ですよ。
どうして軽く扱われている方が扱われていない方を気遣う道徳的義務があるのでしょうか。
軽く扱われていない人たちが軽く扱われている人たちを気遣っていないから現在の分断された制度があるわけですよ。逆でしょ?倫理、倫理というなら、倫理的な正悪は。
結果的に、現実的な最弱者をプアホワイト扱いすることで、引用記事なんかは彼らの状況を悪化させることしかやっていないわけです。
専業主婦制度も否定しない人に、分断を批判できるとは僕には思えません。
ま、そんなことを考えた今日一日でした。