体温の低い少女たち

少女漫画には繰り返される類型がある。
恋愛に無関心・鈍感な主人公がいて(多くはガリベンだ)、学園のアイドル的な(しかしそのことには自身は関心を持たない)美少年がいる。美少年は、ガリベン少女の素朴さや古風さにひかれて少女に恋をする。ビッチ的な女子たちは嫉妬で主人公に嫌がらせをするが、好かれるための努力をしていないように見える主人公の「本当の良さ」に美少年が気づく結果しかもたらさない。
学園を舞台にした少女漫画は9割がたはこのパターンではないだろうか。
この構造の嫌らしいところは、恋愛至上主義に結果的に懐疑的であるかのように振る舞っている主人公の価値観が、美少年による全肯定を権威としている点だ。
美少年の歓心を得ることが少女漫画の恋愛における勝利だとしたら、勝利へ至る道が非合理的だ。美少年の歓心を得ることが勝利ならば、歓心を得るような行為を積み重ねることが常識的に言って常道だろう。しかしその常道を、主人公を敢えて非恋愛体質に設定することで、ビッチ的な属性に貶めたうえで、ならば恋愛とは関係ないところでアイデンティティを確立させればよいのに、結局は恋愛に勝利することで主人公の栄光が確保されるのである。
男女雇用機会均等法施行後も変わらぬ自己承認欲求の他者依存が隠蔽されているのであり、直線的な因果関係が軽蔑的に扱われているのは、「本当の自分を社会的流通価値の高い価値観で全肯定されたい」という女子的な幼稚な全能感・全能欲求の表れだろう。
今やこういうものしか少女漫画がないというのも、少女漫画と言う文化の枯渇、貧困、そしてそれしか熱心に読まない読者の程度を表しているように思える。